ショックな事があった。太宰治の『斜陽』だ。いやいや、いい歳をしたオバサンが、恋と革命に生きたヒロインかず子に触発されたわけではない。もっとさもしく現実的な話。……要するに『斜陽』の初版本の値段を知って、「ガビ〜ン!」となったというわけだ。
遠い昔の事ではあるけれど、実は私、大学生になった日に父から『斜陽』(発行昭和廿2年12月15日)を手渡されたのだった。
「今日から4年間、父さんは毎月お前に仕送りをする。お前はそれで1ヶ月暮らして行くがやぞ。でも、もし万が一、月末が過ぎて翌月になっても父さんからの送金がない場合、それは父さんが体を壊して倒れたか、またはどっかへフラリと旅に出て、しばらく帰りたくなくなった時やから、そん時はお前、この本を古本屋に持っていって、お金に換えてもらい、それでしばらく暮らしていくがやぞ」とか何とか言ったと記憶する。
幸いその古めかしい本を売り飛ばすことはなく、それどころかそんな風に話してくれた父が放蕩無頼でフラリ姿を消すどころか、私の在学の間に二度と戻れぬ黄泉の国へと旅立ってしまった。
死ぬまで小説家を夢見た父。彼が太宰のファンで、早々に娘に形見分けをしておいた形となってしまったが、この親不孝な娘はその初版本の価値などまるで気にも留めず、他の本と一緒に適当に本棚に重ねていた。すると、ある日遊びにやってきた友人から、思いもせぬ指摘を受けたのだ。
「ヒャ〜凄い。『斜陽』の初版本!? ……太宰ってハンコも押してある。……当時は7拾圓かぁ……。今なら100万は下らないと思うよ」と。
慌てふためいた私はすぐさまナフタリン入りの桐箱に本を仕舞い、そのために人生初の“貸し金庫デビュー”もしたものであった。
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source : 文藝春秋 2024年12月号