天野之弥、勝井三雄、勝田吉太郎、瀧本哲史、ピーター・フォンダ

蓋棺録

ニュース
偉大な業績を残し、世を去った5名の人生を振り返る追悼コラム。

★天野之弥

蓋棺録・写真1(天野之弥) - 名前部分カット
 

 IAEA(国際原子力機関)事務局長の天野之弥(あまのゆきや)は、被爆国出身として初めて、核拡散を監視する組織のトップを務めた。

 2009(平成21)年12月、IAEAの事務局長に就任する。日本人として初であるのに加えて、いちど事務局長選で信任が得られなかったのに、再び挑戦して選ばれたのも異例だった。

 1947(昭和22)年、神奈川県の湯河原町に生まれる。弟は同じく外交官となる天野万利。幼いときから昆虫採集や天体観測が好きだった。私立栄光学園高等学校に在学中、バイオケミストリーに興味をもって東京大学理科Ⅱ類に入学する。ところが、自分には向かないと分かって2年のとき退学してしまった。

 驚いた家族や友人たちに説得され、同大学文科Ⅰ類を受験しなおして法学部に進み、在学中に外交官試験に合格。こんどは、外務省でもテーマとする分野が見いだせずに悩んだ。しかし、93年に科学原子力課長に就任してからは、軍備管理・科学審議官や軍縮不拡散・科学部長などを歴任して、原子力外交エキスパートの道を歩む。

 2005年、在ウィーン国際機関日本政府代表部大使をへて、IAEA理事会議長に就任。この年にIAEAがノーベル平和賞を受賞した。2008年に日本政府によって次期IAEA事務局長候補に擁立されたが、翌年3月の選挙で信任が得られなかった。同年7月に当選を果たしたときは、外務省の「悲願」が達成されたといわれた。

 とはいえ、選挙後には内部告発サイト「ウィキリークス」に、「天野は重要問題では米国を支持すると約束した」と暴露されて問題視された。また、2011年に福島原発事故が起こったさいには、「自国政府に対して甘い」との批判が起こるなど、必ずしも平坦な道ではなかった。

 しかし、自らに課したテーマに対して誠実だった。2015年、イランがウラン濃縮を制限することで、米英独仏中ロが核関連の制裁を解除すると約束し、「イラン核合意」が成立したが、天野が果たした役割は大きかった。

有料会員になると、この記事の続きをお読みいただけます。

記事もオンライン番組もすべて見放題
初月300円で今すぐ新規登録!

初回登録は初月300円

月額プラン

1ヶ月更新

1,200円/月

初回登録は初月300円
※2カ月目以降は通常価格で自動更新となります。

年額プラン

10,800円一括払い・1年更新

900円/月

1年分一括のお支払いとなります。
※トートバッグ付き

電子版+雑誌プラン

12,000円一括払い・1年更新

1,000円/月

※1年分一括のお支払いとなります
※トートバッグ付き
雑誌プランについて詳しく見る

有料会員になると…

日本を代表する各界の著名人がホンネを語る
創刊100年の雑誌「文藝春秋」の全記事、全オンライン番組が見放題!

  • 最新記事が発売前に読める
  • 毎月10本配信のオンライン番組が視聴可能
  • 編集長による記事解説ニュースレターを配信
  • 過去10年6,000本以上の記事アーカイブが読み放題
  • 電子版オリジナル記事が読める
有料会員についてもっと詳しく見る

source : 文藝春秋 2019年10月号

genre : ニュース