
『もう2位は要らないわけです。だから11.5ゲーム差を開けられた時も、勝てるかどうかなんて考えていない。ひっくり返すことしか考えていない。優勝を疑った瞬間はないです。逆に言えば、ずっと疑っていたのかもしれない。つまり、勝てるかどうかではなく、勝つためにやっているだけなので。僕は勝つために逆算して、手を打ち続けるだけなんです。8月の後半から9月に入るところで、優勝がはっきり見える状態まで持っていってあげたら、あとは選手たちが勝手に走り出す。こっちの仕事はその気にさせることなんです。
そのためにはどこかのタイミングで、アウェーの福岡でインパクトのある3連戦3連勝をしないと、何かきっかけをつくらなければ、優勝はないと思っていました。そこで考えていたのが、あの作戦です。偶然に思いつきでやったわけではなくて、1カ月以上前から練っていた。そして、あそこですべての条件が整った。神様がやれと言っている。だから、前の日に翔平を呼んで話したんです』
(栗山英樹)
「翔平を呼んでくれるか」
栗山英樹はチーフマネージャーの岸七百樹(なおき)にそう告げた。2016年7月2日、福岡ドームでのデーゲームが始まる前のことだった。
試合前のベンチ裏は慌ただしく人が行き交い、まるで早回しのように時間が流れていく。ミラールームでスイングする者がいれば、トレーナー室のドアをノックする者がいる。サロンでリラックスする者がいれば、ロッカールームで祈る者がいる。誰もが、あと数十分後に始まる試合に向かっていく中、栗山はひとり明日のことを考えていた。眼前の一歩ではなく、およそ半年間に渡るペナントレースの最後にどんな一歩を踏み出せるかに頭を巡らせていた。奇跡は起こる。どうすれば選手たちにそう信じさせることができるのか。北海道日本ハムファイターズ指揮官としての栗山の葛藤はそれに尽きた。
このデーゲームが始まる前の時点でファイターズは3位につけていた。貯金11を積み上げ、十分に優勝圏内の数字を残していた。だが、首位を走る福岡ソフトバンクホークスはその遥か先にいた。6月の半ばには最大11.5ゲーム差をつけられた。そこからファイターズは逆襲を開始し、現在8連勝中だったが、それでもまだ王者との差は8.5ゲームも開いており、その背中は遠く霞んでいた。そこに栗山のジレンマがあった。
80年にもなるプロ野球の歴史において、11ゲーム以上離されたチームが逆転優勝を飾った例は数えるほどしかなく、どれもが「ミラクル」と形容されるものであった。つまり、ここから自軍がホークスを捉えることはほとんど不可能だと見られていた。
栗山に限れば、そんなことは問題ではない。そもそも可能性を計算するという生き方はしてこなかったし、4年前に監督という仕事に身を投じてからもゴールに向かってひたすら手を打ち続ける日々を送ってきた。可能性を疑っている時間などなかった。だが選手はそうはいかない。いくら不可能なことなどないと口にしても、冷酷な戦いの場に身を置いている者たちは肌感覚で相手との距離を知ってしまう。届くのか、届かないのか、奇跡の確率を悟ってしまう。ペナントレースの趨勢が決まると言われる9月に差しかかったところで首位の背中がはっきりと見えていなければ、否応なくチームの空気は諦めに支配されるだろう。かつてプレーヤーとしてもプロ野球を戦った栗山にはそのことがよく分かっていた。
球界では、ひと月で縮まるゲーム差はせいぜい3ゲームと言われている。残された時間はそう多くない。それまでに、勝てると信じられる場所までチームを連れて行くのが監督としての仕事であった。それさえできれば、逆に選手たちは指揮官の想像を超える速度で突っ走っていくことも、監督1年目でリーグを制覇した経験から分かっていた。
前年シーズンのファイターズは2位だった。17個の貯金を積み重ねたにもかかわらず、終わってみれば優勝したホークスに12ゲームも離されていた。鷹の尾翼すら見えなかった。栗山の脳裏にはその虚しさと悔しさが残っていた。もう、あんな思いはしたくない。敵地の監督室で思いを巡らせた末に栗山は一つの決断を下した。あるプランを明日のゲームで実行に移す。それはひと月ほど前から頭にあったものであり、間違いなく世の中では常識破りと言われる作戦であった。

まもなく監督室をノックする音がして、八頭身の若者が入ってきた。21歳の青年はその顔にあどけなさと底知れない成熟を同居させていた。栗山は秘めていたプランを彼に告げた。悠々と空を舞う鷹を引きずり下ろし、チームから「不可能」や「諦め」という文字を排除する。その計画の主人公が大谷翔平だった。
◇
鍵谷(かぎや)陽平はリリーフ投手である。先発投手が崩れたとき、あるいは何らかの理由で早めの継投が必要になったとき、劣勢の流れをストップするべくマウンドに上がるのが役割だった。だから試合が始まれば、早い段階でブルペンと呼ばれる投球練習場に向かう。この7月2日もそうだった。他のリリーフたちとともに身体をほぐしながら、モニターに映る試合経過を睨んでいた。いつ呼ばれてもいいように準備をしながらも、胸には少なからぬ不安があった。このシーズンの鍵谷は開幕からずっと、人知れず悩みを抱えていた。
鍵谷は北海道の南端、渡島(おしま)半島の亀田郡七飯町(ななえちょう)で白球を追いながら育った。北海高校ではエースとして甲子園に出場したが、初戦で12失点を喫して敗れた。プロへの門戸が開いたのは中央大学での4年間を経てからだった。ドラフト3位で入団した右腕は、自分がプロの中で飛び抜けた天才ではないことを知っていた。投手として打者をねじ伏せる特徴的な勝負球を持たない自分がこの世界でどう生きていくか。模索した末に2年目のある試合で突然、視界が開けた。
“左膝の横で腕を振る”
その感覚で投げると、ボールがこれまでより強く速くなった。鍵谷は一軍に欠かせない戦力となり、プロ4年目を迎えていた。だが、この2016年はこれまでと同じように腕を振っているはずなのに、なぜか、ボールが思うような軌道を描いてくれなかった。打たれる日が増えていく。ベンチの信頼を失うのではないかと焦りが募る。何より苦しいのは、不振の理由が分からないことだった。それでも呼ばれればマウンドに立たなければならない。だから鍵谷は胸の内で唱えていた。
“自分はナンバーワンの投手だ。絶対に抑えられる”
冷静に見渡せば、プロの世界には羨ましいほどの才能を持った者たちが溢れている。それは承知の上で、マウンドでは自己暗示をかけるのだ。絶対的に己の力を信じて投げなければ、とてもプロのマウンドで生き残っていくことはできなかった。

この日、鍵谷の出番はなかった。チームは先発した有原航平と外国人右腕のアンソニー・バースの継投でホークス打線をゼロに封じ、連勝を9に伸ばした。鍵谷の胸にある不安も苦しみも、また次の登板まで持ち越されることになった。どれだけチームが勝とうとも自らの結果が伴わなければ解放されることはない。個人と組織と、2つの勝利を手にしなければ、決して完全に満たされることはない。プレーヤーとはそういうものである。ただ、どういうわけか、このシーズンに限ってはかつてない感情が生まれていた。投手としては技術的な不調に苦しんでいるのに、鍵谷は例年以上に野球にのめり込んでいた。自らの成績に関係なく、このチームでペナントを争うこと、日々ゲームを戦うことに心が浮き立った。それはプロフェッショナルとしては矛盾とも言える、説明し難い感情であった。
◇
翌7月3日もファイターズは福岡でデーゲームを戦うことになっていた。北海道日刊スポーツ新聞社の本間翼は午前中に福岡ドームに着くと、まだ誰もいない三塁側のビジターチーム用ベンチに足を踏み入れた。そこで選手たちを待った。
グラウンドに出てくる彼らの表情を見て、その日の空気を察する。もし異変があれば探る。スポーツ紙のファイターズ番記者として欠かしたことのない日課であった。あるいは、この日はわずかに足取りが急いていたかもしれない。球団9年ぶりとなる10連勝がかかったこのゲームの先発投手が大谷翔平だったからだ。
ほどなくして選手たちがダグアウトに出てきた。もう10年以上もこのチームを取材している本間にとってはほとんどが馴染みの顔だった。連勝中だけに誰の表情にも余裕があったが、その中にとりわけ悪戯っぽい視線を送ってくる選手がいた。内野手の杉谷拳士(すぎやけんし)であった。コミュニケーション能力に長けた彼はチームのムードメーカーであり、メディアへの発信者でもあった。そんな男が意味ありげにニヤニヤと笑っているのだ。
「どうしたの? 何かあった?」
本間は探った。すると杉谷は何かを言いかけて、「いや、やっぱり言えないっす」と勿体をつけた。そんな事を言わずに教えてくれよ、と食い下がると杉谷が囁いた。
「いや、全部は言えないんですけど、今日は初回の攻撃を見ておいた方がいいっすよ。弁当なんて買いに行ってる場合じゃないっすよ」

杉谷はそのまま目配せを残してウォーミングアップに出ていったが、本間にはそのヒントだけでピンとくるものがあった。王者ホークスとの差を詰めるチャンスであるこの試合、おそらく監督の栗山が何か特別な手を打ったのだ。そして、それは間違いなく大谷に関することだ。それだけこの2016年シーズンの大谷はチームにとっても、球界にとっても大きな存在だった。
本間は大谷を入団時から取材してきた。その過程で記者としての野球観を大きく変化させられていた。岩手の花巻東高校を卒業後、そのままアメリカへ渡ることを明言していた大谷はドラフト会議でのファイターズの強行指名と、その後の説得交渉によって入団に至った。アメリカ球界も注目する逸材が日本球界でプレーする。それだけでも注目を浴びたが、何より特異だったのは、ファイターズ入団と同時にプロ野球史上初の挑戦をすると宣言したことだった。
どれだけ才能があっても、たとえ高校時代にエースで4番だったとしても、野球選手というのはプロになれば投手か打者かどちらかを選んで、その道で一流になるのが常識だった。それだけ現代プロ野球というのは投打それぞれの専門性が高く、生存競争が激しく、長丁場のペナントレースを戦う上では肉体的な限界もあった。ところが大谷は投打両方で頂点を目指すという。それはオーケストラでいえば、第一ヴァイオリンの奏者が管楽器も吹きこなすようなものであり、一流レストランで、肉料理を担当するロティスールがブーランジェとしてパンを焼き上げ、パティシエとしてデザートを仕上げるようなものだった。つまり、業界において「不可能」と結論づけられていることだった。
球団が「二刀流」と銘打った常識破りのプロジェクトは栗山の指揮下で進められたが、当初から否定的な意見が大半だった。先発投手はひとつのゲームに登板すれば、そのあと5日か6日は空けなければ、次のマウンドには立てない。それほど肉体的に消耗する。そんな状態でどうやって打者としてバットを振り、人生を賭けて向かってくるプロの投手の球を弾き返すというのか。評論家の多くは大谷の才能を中途半端に消費するだけなのではと疑問を投げ掛けた。チーム内にすら冷ややかな視線が存在した。本間も否定派ではなかったが、過去の成功例がないことから実現の可能性は低いのだろうと思わざるを得なかった。
だが、大谷の4年目となったこのシーズン、球界の常識はひっくり返された。5月末の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で栗山はその日の先発投手であった大谷を6番打者として打線に入れた。投手を打席に立たせないための指名打者(DH)制をわざわざ解除して二刀流を実践したのだ。その試合で大谷は3本のヒットを放ち、7回1失点で勝ち投手になった。栗山の起用と大谷が出した結果は、新たな可能性の象徴としてスポーツの枠を超えたニュースになった。次はどんな可能性を見せてくれるのか、人々は注視して待つようになった。それに応えるように大谷はここまで投手として7勝を挙げ、同時に打者として3割3分を超える打率を残し、9本のホームランを放っていた。だから本間は番記者として常に彼の起用についてアンテナを張っていた。
おそらく栗山はこのゲームで、先発投手である大谷を打者としてもラインアップに組み込むだろう。問題は彼を何番に置くかだった。本間は推理しながら、このホークスとの3連戦が始まる何日か前に、栗山が口にしていた言葉を思い出した。
「翔平は宿題が重ければ重いほど、力を発揮するんだ」
あれは自分たちメディアに向けたサインだったのかもしれない。栗山は二刀流の伴走者であり、最大の理解者でもあった。無謀だという意見が球界の大半を占めていた頃、オフレコの場で報道陣と卓を囲むたび、「若者が挑戦しようとしているのに、どうしてそれを否定するのか」と嘆息していた。そんな指揮官にはずっと胸に温めている策があり、それをついに解禁したのではないか。そうでなければ大谷の二刀流を間近で見続けてきたチームメイトがあれほどの反応を示すはずがなかった。
初回の攻撃を見ておいた方がいいという杉谷の言葉から推察すれば、大谷は1回表の攻撃で確実に打席が巡ってくる。つまり1番から3番までのいずれかを打つということだ。本間はプレーボールの40分前になると、胸にざわめきを抱えながらエレベーターで記者席へ上がった。そこからスタジアム全体を見渡した。
しばらくすると場内にアナウンスが流れた。ウグイス嬢がいつものようにビジターチームからスターティングメンバーを発表していく。その第一声であった。
『1番、ピッチャー、大谷』
アナウンスは確かにそう告げた。同時に電光掲示板の1番バッターの欄に「大谷」の名前が浮かび上がった。本間は呆然とバックスクリーンを見つめていた。長くプロ野球を担当してきた記者でも初めて目にする光景であった。何よりもスタジアムの反応が異様だった。観衆はその瞬間、微かにざわめき、その波は静かに場内へ広がっていった。そして、いつまでも消えなかった。人々はいま目にしている事象が衝撃的なことだと認識してはいるが、その大きさを測りかねているようだった。

この試合、何が起ころうと主役は大谷だ。本間は確信した。明日の紙面は全国どこに行っても大谷が一面を飾るだろう。ふと、脳裏に東京本社のデスクの顔がよぎった。ネタに厳しく、容易には原稿を通さないことで知られる鬼デスクは現場の記者たちにとって天敵であり、本間にとっても例外ではなかった。
スポーツ記者なら誰もがスター選手を担当し、一面記事を書きたいと思うものだが、同時にそんな逸材に巡り合えば職責の重圧も抱えることになる。本間はこれまでに中田翔や斎藤佑樹という全国区の選手を担当してきたが、やはり高揚感と同等の重圧に苛まれることがあった。プライベートの時間を削って取材するうち、心身が擦り切れていく経験もした。
だが、この瞬間の本間の頭からはすぐに鬼デスクの顔が消えた。大谷の第1打席を見逃してはならない。その思いが先に立った。本間は再び1階に戻ると、いつもより早めにプレスルームのモニターの前に陣取った。そこでスコアブックを開き、試合開始を待った。
◇
『二刀流をやって疲れているだろうし、もう休めよと、僕はそう言ったと思うんです。でも翔平は「今やらないと間に合わないんです」と言った。すぐにはその言葉の意味が理解できませんでした。間に合わないって何? と思って。こういうスケジュールになっているんで、だから今、これをやらないといけないんです、みたいなことを言われて、どういうことなんだ? と。後になって考えると、5年先なのか、10年先なのか、一体どれだけ先を見てやっていたんだろうと思います。
翔平は自分の中にプランがあるんで、試合が終わってすぐにウエートトレーニングに行くことも当たり前で、終わったらすぐに寮に帰ってリカバリーするのも当たり前だったと思うんです。彼がどれだけ野球に真剣なのか、僕を含めてみんな入団当初から間近で見ていましたから、あの頃には誰も夜誘う人はいなかったんじゃないですか。最初はやっぱり「飯行くか」みたいな感じで、みんな声かけたと思うんです。ただ、翔平は仮に夜中にお酒を出すような店に自分が行ったら、周囲や社会へどういう影響が出るのかを19歳、20歳の頃から理解していたような気がします。周りに迷惑をかけたり、悪影響が出るくらいなら行かない。そういうことだったと思うんです』
(鍵谷陽平)
鍵谷はロッカールームにいた。プレーボール直前の時刻になると、ベンチ裏は慌ただしさが薄れ、代わって静かな緊迫感に包まれていく。だが、この日はどこか普段とは異なっていた。まだ微かにざわついていて、これから起こることへの浮き立つような空気が漂っていた。そうさせていたのは一枚の紙片であった。
有料会員になると、この記事の続きをお読みいただけます。
記事もオンライン番組もすべて見放題
初月300円で今すぐ新規登録!
初回登録は初月300円
月額プラン
初回登録は初月300円・1ヶ月更新
1,200円/月
初回登録は初月300円
※2カ月目以降は通常価格で自動更新となります。
年額プラン
10,800円一括払い・1年更新
900円/月
1年分一括のお支払いとなります。
※トートバッグ付き
電子版+雑誌プラン
18,000円一括払い・1年更新
1,500円/月
※1年分一括のお支払いとなります
※トートバッグ付き
有料会員になると…
日本を代表する各界の著名人がホンネを語る
創刊100年の雑誌「文藝春秋」の全記事が読み放題!
- 最新記事が発売前に読める
- 編集長による記事解説ニュースレターを配信
- 過去10年7,000本以上の記事アーカイブが読み放題
- 塩野七生・藤原正彦…「名物連載」も一気に読める
- 電子版オリジナル記事が読める
source : 文藝春秋 2025年3月号

