共産主義国家の中国は、世界最大の仏教人口の国でもある。文化大革命で一時衰退した仏教は復活を遂げ、寺院や聖地が観光名所やテーマパークになり、多くの参拝者が訪れ、活況を呈している。
私の研究の一つが現代中国の仏教と国家の関係だが、近年、大きな変化があった。党政府が仏教を中国の伝統文化として位置づけたのだ。宗教には厳しい制約がつくが、文化ならば政府や企業は仏教を積極的に活用できる。政府は「高度な仏教文化の歴史を誇る文明国」という意識を国民に広めた。経済面では仏教の文化産業が振興中だ。仏教文化は、仏具から建築、茶、菜食料理、ファッション、化粧品、薬品、家具まで消費財が豊富で、巨大な見本市が全国で毎年開催されている。寺院、仏教大学や禅堂など、仏教要素を入れた開発計画も人気だ。一帯一路政策は仏教に「海外に進め!」と号令し、今や仏教外交は欧米、アジア、アフリカとの文化外交の主軸の一つだ。党直轄の統一戦線工作部は、相手国の宗教事情や対中関係に応じて多様な仏教外交を注意深く展開する。現在、国際チームを組み、この外交を研究中だが、今まさに中国が世界の仏教の中心になるべく始動した感がある。

日本への仏教外交はどうだろうか。今、黄檗(おうばく)宗が興味深い。10年前に習近平が明末の渡来僧、隠元禅師に言及したことを機に、中国側は福建省をあげて、日本の黄檗宗との熱い交流を急速に活発化させている。
1653年、隠元が福建省福清の黄檗山萬福寺から長崎の唐寺・興福寺に招かれ、多くの弟子や技術者と渡日した。臨済正宗の法脈を継承する隠元は、将軍や天皇の信を得て宇治に同名の黄檗山萬福寺を開山。今でこそ小さな宗派だが、当時は中国直輸入の戒律、書や絵画、食材、医療、建築、印刷、土木等の高度な文化と技術で一世を風靡した。キリシタン禁制と鎖国で行き場を失った異文化への情熱は、武士や町人をして中国最先端の闊達で異形の文化文物に走らせた。黄檗熱は仙台藩など全国の主要な藩主に広がり、若冲らの絵画など江戸文化の基層を作った。中国僧の住職が100年近く続いた萬福寺は、中国の最新文化技術の中心だった。
折しも2022年は隠元350年遠忌と日中国交正常化50周年が重なった。中国の経済力と文化政策を背に、新華僑の民間団体も協力し、両国の僧侶の相互訪問、合同法要や行事、中国からの梵鐘や寄付金の贈呈など、熱烈な交流が続く。江戸文化に中国が貢献し、今なお皇室が隠元に諡号(しごう)を贈ることは、中国側のナショナリズムも擽(くすぐ)る。日本の黄檗宗は慎ましくも格式を持ってこれに応え、丁寧な交流を続けているが、経済的にも互酬性は困難だ。政教分離が大原則の日本の行政には宗教交流の支援は論外である。
中国の熱視線は波及効果も産んでいる。これまで研究が手薄だった黄檗文化が再評価され、黄檗関連の美術展も増え、昨年、萬福寺の建築物は国宝になった。
ソフトパワーは互酬的である必要はない。ここで真に問われるのは、今後、日本の行政が伝統仏教や習合的宗教性の慣習を含め、多様で豊かな日本文化を貴重な文化資源と認め、柔軟で革新的な対応の下に、独自の文化政策、文化産業、文化外交を主体的に行えるか否かだ。政教分離は重要だが、思考停止の隠れ蓑では困る。日本の伝統仏教側の自覚と準備も問われる。
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source : 文藝春秋 2025年4月号