思春期に芸能事務所からスカウトを受けたことで、きらびやかな世界への憧れを育んだ。親の反対もあってティーンでの華々しいデビューはあきらめたが、水商売で働きながら芸能界へのチケットを再び掴んだ。
女子学生ブームに乗って、瞬間最大風速を記録した芸能生活は、しかし「できちゃった結婚」という思わぬつまずきであっけなく潰えてしまう。
連れ添うことになったのは、年下の頼りない男だった。幸せな結婚生活とはほど遠い若気の至りのあやまちは早々に終わりを迎える。小さな子供を抱えながら働くなかで見つけた次の男もまた、実に甲斐性がなく――。
波瀾万丈の人生を糧に、現代を生きる女性に様々な立場からアドバイスを与え続ける、女傑・新川てるえさんの半生を追った、衝撃のインタビュー第2回。(全4回の第2回)
◆◆◆
日本初・シンママのポータルサイトを設立
――母ひとり、子供2人はかなり大変だったんじゃないですか?
新川 シングルマザーって心細いものですよ。当時は今ほどシンママもポピュラーじゃなかったし、なにより情報が少なかったですね。離婚後にどんな悩みを抱えてるのかとか、片親ならではの育児のポイントとか、行政からどんな支援が受けられるのかとか。そこで、1997年に「母子家庭共和国」という、おそらく日本で初めてとなるシングルマザーのポータルサイトを作ったんです。シンママたちが集まって、素朴な疑問や悩みをぶつけ合える場所があればいいなって。ちょうど、インターネットも一般に広がり始めた時期でした。今みたいにライングループは作れないから、当時はメーリングリストです。毎日何百通もメールが来て楽しかったですね。
――ご活動が行政からも注目を浴びたそうですね。
新川 当時、児童手当の削減や、養育費の未払い問題など、私たちが抱える問題はとても多かった。ひとり親を支援するNPO法人も設立しました。その中で、もっと私たちは声をあげて、国に訴えていく必要があると思っていました。2001年には厚労省の母子家庭研究会のオブザーバーとして呼んでもらったり、養育費問題については、国会で参考人として発言をしたこともあります。
――養育費は払わなくていいものといまだに勘違いしている人も多いと聞きます。
新川 当時は未払い率が約8割もあったんです。そういった実情を訴えて、民事執行法の改正などに少しでも役立たせたいと。こういった活動は、漠然と知らない誰かのためというよりも、自分やその周囲の人の負担が少しでも軽くなるように、という身近な問題意識から行ったつもりです。