戦略2: 批評がパッとしなくても、ファンを大事にしよう
クイーンが初期にかなり毀誉褒貶の多いバンドだったことはよく知られている。別に売れていなかったわけではなく、好意的な批評家やファンもいた。しかしながら、クイーンは1970年代前半にイギリスで流行した「グラムロック」、つまりデヴィッド・ボウイやT・レックスを代表とする、両性具有的でギンギラギンでドラマティックなサウンドとファッションを特徴とするスタイルに、レッド・ツェッペリン風のパワフルなハードロックを組み合わせた作風で、あまりにもわざとらしく芝居がかっているとよく批判された。
マドンナやレディ・ガガを見慣れている21世紀のリスナーにはたいして大げさには見えないかもしれないが、この手の両性具有的で演劇的な演出を伴う総合芸術としてのポピュラー音楽は、クイーンやボウイをはじめとするグラムロックの先駆者たちが叩かれながら切り開いてきたものなのだ。
「素朴で教養が感じられない」とdisられたシェイクスピア
シェイクスピアも人気劇作家ではあったのだが、同年代の他の作家に比べると学識がなかったこともあり、作風が素朴で教養が感じられないなどという批判はあった。17世紀後半あたりになると時代の趣味にあわせてばんばん改作され、『リア王』はハッピーエンドに改変されて上演されるようになるなど、批評史や上演史の中ではイマイチぱっとしない時期もあった。
しかしながら、クイーンにもシェイクスピアにも、批評が好意的でない時でも支えてくれる根強いファンがいた。とくに注目したいのは女性ファンだ。
クイーンが初期から日本の女性にウケていたというのはよく言われる話だ(日本での人気先行がちょっと強調されすぎているきらいもあるが)。シェイクスピアについても、現存する最古のちゃんとしたシェイクスピア批評を書いたのは女性作家マーガレット・キャヴェンディシュだし、18世紀前半にはシェイクスピア・レディース・クラブという女性の観劇ファンクラブのようなものが存在し、シェイクスピアのプロモーションを行っていた(このあたりの話は拙著『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち』に詳しく書いてあるので、興味がある方は見ていただきたい)。
素晴らしい作品でもファンがいなければ忘れ去られる
現在、正典とされている作品でも人気がなかったり、批評がパッとしなかったりした時期はある。もっと言えば、人気があった作品でも完全に忘れ去られてしまうことはある。
クイーンの「キラー・クイーン」がチャート2位だった時に1位だった、デイヴィッド・エセックスの「ゴナ・メイク・ユー・ア・スター」を聞いたことがある人は全然いないだろうし、18世紀初め頃までの文献でシェイクスピアと一緒にイギリス演劇の大家としてあげられている劇作家には、今ではほぼ上演されないような名前もある。
正典というのはトレンドによってかなりダイナミックに移り変わるものだ。何かが正典になるには、特定のファン層からの継続的な支持を得る必要がある。