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見えていないところの意識は日本のほうが強い

 これは僕の感覚でしかありませんが、見えていないところの意識というのが、日本とアメリカの大きな違いだと思います。見えていないところというのは、ヒットなしでも点をとれる野球、というところです。そういう意識はメジャーにもあるとは思いますが、日本のほうがより強いのかな、と。守備にしてもあっちの選手の動きを見てたら、とても研ぎ澄ました意識を持っていると思えません。内野は別ですよ。外野手の動きを見てたら、おいおい、草野球のオッサンかよ、って動きの選手、いっぱいいます。反応の鈍いこと。打った瞬間、反応できなくて、ジッとしてる。でも、そこから動き出しても大丈夫なんですよ、ヤツらは身体能力が高いからね。こっちは、そういう目に見えにくい部分を武器にしてやっていかなきゃね。

――振り子を代名詞のように使われるイチローだが、その打ち方はずいぶん変わってきた。右足の上げ方は年々小さくなり、体の使い方は大きく変わっている。この変化は“進化”だと言われてきたが、実際のところは少し違う。イチローの言葉を借りれば、それは“試行錯誤”の末の変化だった。何のための試行錯誤だったのか。イチローは常に、飛距離に拘わらず、「少しでも早く地面にたどり着く」打球をイメージしている。ライナー性の打球が失速せずに飛んでいく、もちろんどこまでも遠くへ飛んでいくに越したことはない、そういう贅沢なイメージ。そのためには、少しでも強くボールを弾かなければならない。強く弾かれた打球は、速く、遠くへ飛んでいく。イチローは、そのための感覚を探し続けてきた。

©佐貫直哉/文藝春秋

 ところが、まともに勝負しようというピッチャーが減るにつれて、イチローの中からボールを強く弾ける感覚が薄れてきてしまった。ヒットを打っても気持ちが晴れない。結果としての首位打者という名誉を欲しがるバッターならそれでもよかった。しかし、強い打球を打ちたい、というバッターとしての本能を満たしたいイチローにとってはそれがストレスとなり、本人が「どん底」と語るほどの精神状態に追い込まれていったのである。

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 そして99年4月、一本のセカンドゴロを打った瞬間、ようやく探していた感覚を見つけたのだと言ったイチロー。この後の2シーズン、イチローは自信を持って打席に立ってきた。探していた感覚を見つけ、肉体改造によって体の幹に力を蓄えたイチローには、振り子は必要なくなっていた。