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水没した戸田球場を前に、考えたこと、感じたこと

文春野球コラム クライマックス・シリーズ2019

2019/10/14
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間違っていたウイキペディア

 残念ながら、図書館には「ヤクルトファーム移転」に関する目ぼしい資料は皆無だった。僕は自宅に戻り、関連記事が載っていそうな資料にあたるべく、『ヤクルトスワローズ球団史』(徳永喜男/ベースボール・マガジン社)を取り出す。76年の欄にはこんな記述があった。

〈ファームチームの錬成の場として過去9年間汗を流した武山球場は、今シーズンを最後として京浜急行電鉄株式会社へ返還することになり、来年からはファームチームは戸田・美女木のヤクルト本社総合グラウンドの一隅に新設された専用練習グラウンドへ移転することになった。従って二軍合宿所も戸田に新設され、イースタン・リーグの公式試合も同球場で行われることになる。〉

 これだけではよくわからない。そこで、力作『二軍史 もう一つのプロ野球』(啓文社書房)の著者である松井正さんに「何か資料をお待ちでないですか?」と連絡すると、すぐに「ありますよ」と、『ヤクルト“戸田球場”お披露目』と題されたサンケイスポーツのコピーを送ってくれた。ウィキペディアは間違っていた。こけら落としは77年ではなく、76年9月2日のことだった。

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〈両翼100㍍、中堅120㍍で、巨人の多摩川グラウンドとほぼ同じ大きさ。排水施設も完備しており、前夜来の雨にも、午前中にはすでに水たまりはなかった。(中略)この球場は総工費一億円。周辺に軟式野球場、テニスコートなども併設される。〉

 また、同時期の『週刊ベースボール』には、こんな記述がある。

〈従来の練習場、横須賀・武山球場が遠過ぎることもあって、新設されたものだが、ここも武山に劣らず都心からはかなりの遠距離。本球場がほとんど使用できない若手選手にとっては、来年度も相変わらずの“ジプシー試合”が続きそう(後略)。〉

 これが76年9月のこと。以来、43年間にわたって、ヤクルトは戸田の地で研鑽を積んできたのである。

彩湖・道満総合案内板 ©長谷川晶一

ファーム運営を考え直すときが訪れた

 帰宅後、次々と続報が入ってきた。日刊スポーツによれば、「打撃マシンや選手が使用する用具も水没し、被害は甚大だ」とあり、導入したばかりのトラックマンも汚泥の中に沈んだという。数日前から「地球規模の大雨」と予報されていたのだから、この損害は防げたはずだけに残念でならない。図らずも危機管理能力の低さを露呈してしまうことになってしまった。また、上田剛史が自身のインスタを更新し、「練習できまへん。。。戸田」と嘆いている。多くのヤクルトファンも、続々と戸田球場を訪れていたようだ。

 みんなが悲嘆に暮れている。みんなが心を痛めている。報道によれば、水が引くまでには一週間程度かかるという。戸田市の図書館で見た資料によると、水が引いた後には2~5センチ程度の汚泥が全面にわたって堆積するという。また、99年の水害が落ち着いたときには大量のマムシが発生したそうだ。明治40、43年も大洪水に見舞われ、大正時代には住民の移転が推奨され、昭和22年のカスリーン台風でも甚大な被害を記録した。

 未曾有の台風や、記録的な大雨が襲来したとき、戸田球場一帯は水没する。歴史上、それは紛れもない事実だ。また、彩湖が「荒川第一調節池」としての役割を担っている限り、今回のような事態が訪れる。これを機に新移転先を本気で検討するのか? あるいは、こんな事態も織り込み済みの上で、代替施設との併用を視野に入れるのか? 用具管理の徹底も図らねばならないだろう。

 予算の問題や行政との折衝など、いろいろな問題があるのは理解している。しかし、同じく河川敷を二軍球場として利用していた巨人がよみうりランドへ移転し、日本ハムが多摩川から千葉・鎌ヶ谷に一大施設を建設した。DeNAは豪華なファーム施設を新たに作った。今回はたまたまオフシーズンだったが、これがシーズン中だったら他球団にも迷惑をかけることになる。今回の一件を教訓に、手を打つべきときがやってきた。一ファンとしては募金でも、クラウドファンディングでも協力する準備はできている。このままではいけない。

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