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ジャパンは白星に見放され続けたチームだった

「愛されるためには、勝たなければならない」

 これは2015年のワールドカップ直前に、エディー・ジョーンズHCが語った言葉だ。彼はこう言っていた。

「私は本当に、ラグビーは世界で最も素晴らしいスポーツだと思っています。チームスポーツであり、コンタクトスポーツであり、すべてを選手自身が判断して進めていかなければならない。この素晴らしいスポーツを、日本でもっと愛されるスポーツにしていきたい。そのためには、ワールドカップで勝たなければならないのです」(Number PLUS『桜の決闘』)

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 それはその通りだった。ほんの4年前まで、ジャパンは過去ワールドカップ7大会で1勝21敗2分。故・宿沢広朗氏が率いた1991年大会のジンバブエ戦以降は、国際舞台で約四半世紀にもわたって白星に見放され続けたチームだった。

 1995年大会では、オールブラックスを相手に17―145の惨敗を喫している。野球やサッカーなど他競技ではMLBや欧州リーグといった「世界の舞台」がファンにとって身近になっていった一方で、「ラグビーは日本人には無理」といった諦念が社会に定着してしまうのも、無理からぬことだったと思う。

エディー・ジョーンズ前HC ©文藝春秋

他のチームの3倍もの練習量に耐えた

 4年前のワールドカップでジャパンの選手が口々に唱えていた「歴史を変える」とは、この状況をひっくり返すということだった。

 そのために時に家庭を犠牲にし、他のチームの3倍もの練習量に耐え、肉体と精神を極限まで追い込んできた(ただしその練習は「根性練」ではなく、あくまでもインターナショナルレベルのコーチングにもとづく、合理的なものだった)。

 当時、五郎丸歩選手はこう語っていた。

「1年前の北米遠征のときは、バンクーバーに滞在中に、下の子が生まれました。時差があるから、朝起きたら『生まれたよ』とメールが入っていた。実際に顔を見たのは、その1週間後くらいだった。ゼロ歳の1年間のうち、半分以上は合宿や遠征で留守にして、家族に負担をかけました。でも、人生で何かを得ようとするなら、何かを犠牲にしなければならない」(『桜の決闘』より)