ノンアルコール飲料が充実してきている
故に「アルコールは一滴でも身体に悪い」と言われても、話は分かるけど酒も飲まないで人生を過ごすのは辛い。でも身体は悪くしたくないし、健康でありたいとは思っている。何とかなりませんか。たぶん、葉巻やタバコの類と同じく、先進的な人たちは脱アルコールなどとっくに果たし、ジュース片手に笑顔で健康に過ごしているに違いない。
大学や研究職の人たちと宴会に行くと、最近の飲み屋は「ノンアルコール飲料が充実してきている」と実感します。なんだ、その見たことのないノンアルコールカクテルは。下戸の皆さんが穏やかに健康的な飲み物を召し上がっている横で、のんべえは競うようにビール大ジョッキを空け続けているさまを客観的に見るならば、酒を飲まなくても充分に楽しく会合に出たり、割り勘負けしないような頼み方ができるようです。下戸にも優しく住みやすい、良い世の中になったものだ。しかしそれは、相対的に酒飲みの側の優位性が失われようとしていることに他なりません。
ヤバイ。時代は変わりつつある。明らかに、酒を飲んでいる側にとって、アゲンストの風が吹き始めているんですよ。アルコールで紅潮した頬に、みぞれ混じりの冷たい空気がビシバシと当たっている。ここは自分の健康のため、世の中に迎合してさらにアルコールを減らして良い人生を送ろうと決心するのか。いやいや、一人の酒飲みとして、もうこの人生はアルコールに捧げるものとして、健康面には目を瞑り頭を低くしてこの反アルコールのファッショ的な言動をやり過ごそうとするのか。
やんわりドクターストップを喰らって
いまや、大学でも職場でもアルコールによる“ノミニケーション”は否定されつつあり、若い人のアルコール離れが広がる中で、我が国伝統の飲酒文化の担い手としての根性が試されているのだと思うのですよ。決断の時期が迫っているように思うんですよね。
そのように思いながら日々を過ごしていたところ、先日健康診断で一部数値があまりよろしくなく、馴染みの医師から「そろそろお酒を控えられては」とやんわりドクターストップを喰らってしまいました。悲しい。現代社会に生きる文明人であるこの私が、民主政治により与えられた自己決定権を行使することなく第三者から充分な根拠を持って「酒やめろ」と指示をされてしまう日が来るとは。
仕方ないといえば仕方ないのですが、愛用のビールグラスを仕舞う背中が物悲しいと家内に言われてしまったので、ビールグラスにいまオレンジジュースを入れて飲んでいます。
違う。なんか違う。でも、知性ある人間たるもの、環境の変化に適応していかなければ。
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