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「ラディカルな小学生」が「ドラえもん」から学んだこと――哲学者・千葉雅也インタビュー #1

「ラディカルな小学生」が「ドラえもん」から学んだこと――哲学者・千葉雅也インタビュー #1

「勉強する」哲学者が語るルーツ

2017/08/14

注目の哲学者に聞く「哲学の時代」シリーズ4回目は、立命館大学准教授の千葉雅也さん。4月に刊行された『勉強の哲学 来たるべきバカのために』では勉強に対する心構えや勉強の原理論が語られ、「東大・京大で一番読まれている本」にもなった。そんな千葉さんの哲学者としての原点には、幼少期から持っている、ある“欲望”があったという。

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美術から美術批評、そして哲学へ

©石川啓次/文藝春秋

――『勉強の哲学 来たるべきバカのために』(文藝春秋)でも語られていましたが、もともとは美術にご興味があったそうですね。どんなお子さんだったのでしょうか。

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千葉 両親がともに美術系の学校だったので、その影響で、遊ぶといったら、もっぱら絵を描いたり、紙で何か作ったり、そんな子どもでしたね。それから、物の名前を覚えるのが得意でした。深海魚の学名とか、よく覚えていました。美術的・視覚的にうまく形を作るというのと、あれこれ暗記するというのが、小さい頃からの能力の二つの柱ですね。

――哲学や思想との出会いは?

千葉 高校生の時です。美術作品を作ることから、美術批評の方に関心が向かうのですが、その過程で興味を持ち始めました。高校の時の美術の先生が面白い方で、ミニマル・アートっぽい作品を作るアーティストでもありました。彼が、いろいろと批評的な文章を読むように仕向けてくれたことも大きかったと思います。松岡正剛の雑誌『遊』や浅田彰などの存在を知ったのも、その頃です。毎年、夏に栃木県立美術館の企画展を観に行くという宿題が出てレポートを書かされるのですが、僕の高校一年の最初のレポートを、本の形にして提出しました。

――いきなり大作を。

千葉 そこには批評だけでなく、現代美術的なドローイングや、詩なども入っていました。それらを組み合わせたアートブックみたいなものです。それから、読書感想文の課題では、稲垣足穂について書いて、それを褒められたのも大きかった。そんなふうに、美術から美術批評を経由して「批評するとはどういうことか」という問題に関心が向かって行きました。価値評価とは何か。そもそも第三者が他人の作品について何かを言う権利はあるのか。そうした問題に導かれて、哲学や思想に踏み込んでいきました。

“概念のコレクション”はゲーム的に楽しい

――「物の名前を覚えるのが得意だった」とのことですが、やはり興味があるから覚えられるのでしょうか。

千葉 それはそうだと思いますよ。もっとも、僕の場合は、自然と覚えてしまいます。と言うと、暗記に苦労している人に申し訳ないのですが……。物の名前をコレクションすることが、自分の欲望だったのです。その傾向は今でも、深海魚の学名を覚えるのが好きだった幼稚園生の頃から変わっていません。ほら、子どもって、恐竜とかの名前を覚えるのに妙に熱中するじゃないですか。あれが今でもずっと続いている感じ。

――百科事典的なものへの憧れ、みたいな。

千葉 哲学への興味というのも、結局、そこと結びついていると思います。いろいろな概念を、とにかくコレクションする。そして、それをカードゲームのカードのように使えるようになること自体が、ゲーム的に楽しいわけです。だから、覚えることが苦痛じゃない。

――そういった感覚が、千葉さんにとっての哲学のベースにある、と。

千葉 哲学者って、「死とはどういうことだろう」「生きるってなんだろう」みたいな疑問を抱く人間がなるものと思われがちですが、僕はあまりそういうタイプではありませんでした。好きなものをコレクションしたいという、一見ひじょうに浅薄な欲望から哲学に向かっていった人間なのです。