いまから40年前のきょう、1977(昭和52)年8月3日、作家の吉田健一が65歳で亡くなった。この年5月、幼少期と青年期に一時住んだロンドンを信子夫人とともに訪ねたが、滞在中に風邪がもとで肺炎を発病する。それでも6月には娘の暁子のいるパリへ飛び、帰国前にもロンドンで一泊するという予定を押し通す。ロンドンに戻る際、暁子が空港で両親を見送ったときのこと。家族は待ち時間のあいだ、ほとんど口を聞かなかったが、暁子は具合の悪い父のことを気にしているうちに大方時間はすぎた。彼女がふと「時間て経つものですね」と言うと、吉田は急に勢い込んで「そうさ」と言ったという(長谷川郁夫『吉田健一』新潮社)。いかにも、「時間はただ経過する」と晩年の代表作『時間』で書いた吉田らしい。
帰国してまもなく、7月14日に聖路加国際病院に入院。このとき見舞った友人で評論家の河上徹太郎によれば、酒好きの吉田は医者からギネスビールを1日に1本、それを3度に分けて食後に飲むことを許されていた。しかし食前に飲むともうあとは何も食べなかったという。このあと23日に小康を得て退院したが、8月3日午後6時頃、自宅で息を引き取った。その通夜・葬儀には、極上の酒のほか、吉田の通ったいくつかの店から料理が届けられ、会葬者や手伝いの人たちに振る舞われた。美食家としても知られた吉田にふさわしい見送りであったといえる。
余談ながら、吉田健一の父親はよく知られるように元首相の吉田茂だが、息子の健介は、理論物理学の道に進み、健一も学んだ英ケンブリッジ大学で博士号を取得、のちにはイタリアのローマ大学の教授となって国際的に活躍した。吉田茂はあるとき、息子と孫が自分とまったく違う分野に進んだことを指して、「こう一代ずつ、やることが違っていちゃあ、四代目は河原乞食だな」と漏らしたという(後藤秀機『天才と異才の日本科学史』ミネルヴァ書房)。吉田健介は父の死から31年後、2008(平成20)年8月29日、肝臓がんのため66歳で亡くなった。