リストアップされた出身者にはやはりミュージシャンが多く、先にあげた4人以外にも、1950年代のロカビリーブームの立役者のひとりミッキー・カーチスをはじめ、元ジャックスの早川義夫、元・休みの国のリーダー高橋照幸(2016年死去)、元たま(記事掲載当時はまだ解散前)の石川浩司、リトル・クリーチャーズの鈴木正人・栗原務・青柳拓次、女性ミュージシャンでは元MANNAの梶原もと子、コシミハル、さねよしいさ子の名前があがっていた。和光大中退の石川浩司は、同記事中、「和光っぽい人間とはどんなタイプか?」との質問に対し、《飛び道具的な人間が多いよね。そうとしか、表現のしようがない。まちがっても王道なんかを歩く人はいません》と答えている(※7)。その言葉どおり、クセ者ぞろいというか、オルタナティブ色の強い顔ぶれである。
星野源とSAKEROCKを結成した“あの俳優”も
こうした和光のミュージシャンの系譜は現在にいたるまで続いている。OKAMOTO'Sも先述のハマ・オカモトを含むメンバー4人は和光中学で出会った。姉妹による2人組ユニットのチャラン・ポ・ランタンも鶴川小・中学・高校と和光学園で学んでいる。俳優としても活躍する元SAKEROCKのメンバーで在日ファン
和光高校の文化祭では、審査を通ったバンドだけが出場できる“オン・ステージ”というコンサートがあり、さらにそこでの投票で1位となったバンドは文化祭の閉会式で全校生徒の前で演奏できる。小山田圭吾やOKAMOTO'Sはこのオン・ステージの常連だった。小山田のバンドは当時より人気で、他校からギャラリーが押し寄せるほどだったとか(※7)。OKAMOTO'Sは高校3年の文化祭で優勝し、閉会式ではメンバー全員が女装してガールズバンドSCANDALの楽曲をカバーして、会場を沸かせたという(※8)。
浜野謙太は大学時代に、自由の森学園高校で一緒だった星野源らとSAKEROCKを結成し、プロへの一歩を踏み出している。和光大学の人間関係学科で学んだ浜野の卒論は、トイレをテーマにしたユニークなものだったとか。一昨年のインタビューでは、子供を和光幼稚園に入れ、自身も園児の親たちの集まる勉強会やサークルに参加していると語っていた。
《僕は読み聞かせサークルに入っていて、絵本を読んで聞かせるんですよ。まだちょっとしか出来ていないんですけど、サークルに入っていると、勉強会・座談会をやりますとか、小学校の図書館の先生をお呼びして、話を聞いてみるとか、それがすっごい面白くて、うちの妻も結構燃えて色んなサークルに顔を出しているんですけれど。みんな学びたいんだなぁって思いますね》(※9)
子供だけでなく、親もともに勉強に熱中する。そんなところも和光学園の魅力なのかもしれない。
※1 「卒業生インタビューvol.30 渡辺裕太さん」(和光学園HP)
※2 「卒業生インタビューvol.34 柄本時生さん」(和光学園HP)
※3 「公立校にはない自由な校風が個性を生む? “変わった学校”に通っていた売れっ子芸能人たち!」(「日刊サ
※4 「卒業生インタビューvol.31 宮川彬良さん」(和光学園HP)
※5 三枝成彰「理想の学校」(『文藝春秋』2006年11月臨時増刊号)
※6 「インタビュー 戦後教育史のなかの和光学園01 繁下和雄『新学校の音楽教育と私の仕事』」(『和光大学総合文化研究所年報「東西南北」2011』)
※7 「小沢健二、小山田圭吾、田島貴男を生んだ『和光学園』=インディーズ文化の不思議なパワー」(『Views』1996年2月号)
※8 オカモトレイジ「OKAMOTO'Sヒストリー」(OKAMOTO'S HP)
※9 「卒業生インタビューvol.42 浜野謙太さん」(和光学園HP)