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「フェミニズムの問題」と捉えると本質は見えづらい

 そしてこの岡村発言を「フェミニズムの問題」という枠に収めると、本質はだいぶ見えづらくなってしまうようにも思うのです。というのも、元々フェミニストといわゆる「オタク男性」の合口がものすごく悪いから。「岡村発言批判は風俗で働く女性を差別している」然り「岡村発言批判は深夜ラジオの文化をわかってない」然り「岡村発言批判は星野源や福山の下ネタには怒らない」然り。このような本質をズラした「批判の批判」が生まれる心理的な背景として、「女性差別」を訴える人々への、ほとんど脊髄反射ともいえる拒絶があるように見えます。

 また、これは穿った見方かもしれませんが「フェミニズムの問題」とされて一番ホッとするのはおそらく岡村さん自身ではないでしょうか。というのもこのような問題発言を起こしたのは自分の歪んだ女性観が原因、女性ときちんとコミュニケーションが取れないことが原因となると、その原因については誰もが同情の念を抱きやすいですもんね。

岡村発言の「一番の問題点」は何か?

 岡村発言の一番の問題点は「公共の電波に乗せてしまったこと」だと思います。経済的苦境に立たされ「性風俗産業につかざるを得なくなる女性が増える」ことが「楽しみ」だと「ラジオ」で発言してしまったこと。その中にはもちろん「女性蔑視」の一面もあります。しかしもっと大きくは「裕福な人気芸能人による、コロナ被害者へのヘイト」であり、そうなると「女性観が歪んだ“かわいそうな”中年男性」なんて枠では片付けられない。そこにいるのは「コロナによって落ちていく庶民をニヤニヤ笑いながら見ているお金持ちの49歳」なんです。

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お金持ちの49歳 ©Getty

 芸能人というのは「感覚のアスリート」だなぁと常々思います。特に芸人さんはその側面が強い。今どこまでが笑えて、どこから笑えなくなるのか。容姿いじり、処女/童貞いじり、激しい毒舌などが徐々に「時代」じゃなくなる中で、そのラインを感覚で見極めた人が勝つ競技なんだと。感覚のアスリートがその感覚を失ったら、去るしかない。厳しい世界だとあらためて思います。