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「40代でやるべき表現を見つけた」

《他人への否定的な目線は、時間差で必ず自分に返ってきて、人生の楽しみを奪う》(※5)。そのことに気づいた若林は、「肯定ノート」なるものをつくり、自分でやっていて楽しいことを徹底的に書きこんでいった。最初は散歩と、高校時代に部活でやっていたアメフトを観ることぐらいだったのが、日に日に増えていく。そのうちに、若いときには「おっさんになってもそんなことやらねぇよ」と思っていたゴルフも始め、すっかりハマってしまった。彼は、自分が本質的にはネガティブな人間であると自覚している。しかし、肯定ノートをつけながら自分の好きなことをどんどんつくっていくうちに、《僕のようなネイティブ・ネガティブが人生を生き抜くには、没頭できる仕事や趣味は命綱と同等の価値がある》と発見したのである(※5)。

©文藝春秋

 ただ、若林が自意識過剰を克服できたのは、そうした努力ばかりでもないらしい。一方では、歳を重ねて自意識に悩む体力すらなくなってきたとも書いている。おかげで先述の『オールナイトニッポン』10周年記念のライブツアーでは、かつて抱いていた“ハイセンスだと思われたい”というような自意識を忘れて、春日とラジオでいつも話している感じのくだらない設定で漫才をすることができたという。同ツアーの最中には、《こないだなんて、「瞬間移動ができるかどうか」ってネタで20分もやりましたから。30歳の時なら絶対に耐えられなかった設定です(笑)》と語っていた(※6)。それでも彼はたしかな手応えを感じた。

《漫才を終えて、舞台袖に戻ってきた時、40代でやるべき表現の初心を摑んだ手応えがあった。/エネルギーを“上”に向けられなくなったら終わりではない。/“正面”に向ける方が、全然奥が深いのかもしれないと思えたのだ。(中略)昨日より今日の方が感覚的に若くなるということが、実際にあるんだなと驚いた。/それは、何歳になっても“昨日より伸びしろが広がることがある”という新発見だった。/これが摑めたなら、過剰な自意識を連れ去ってくれる体力の減退も悪くはない。/自意識過剰な人間は、歳を重ねると楽になって若返る》(※5)

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 オードリーが活動を始めたのは、M-1をはじめとするコンテストが世間の注目を集め、またネタ番組がブームとなり、お笑いファンの求めるレベルも急上昇していった時期である。そのなかで芸人はいわばアスリートと化し、常にプレッシャーと戦いながら、ときには実力以上のことにも挑まねばならなかった。しかし、歳をとれば、どうしたって無理が出てくる。確実に体力が目減りしていくなかで、いかにネタを続けていくか。オードリーはその一つの答えを示したといえる。来年には結成20年を迎えるが、自意識を捨てて“若返った”若林が、春日とともにどこまで突き抜けていくのか、今後も見逃せない。

©文藝春秋

※1 『オードリーとオールナイトニッポン 最高にトゥースな武道館編』(ニッポン放送)
※2 若林正恭「解説 ぼくが一番潰したい男のこと」(山里亮太『天才はあきらめた』朝日文庫)
※3 『小説トリッパー』2018年秋季号
※4 若林正恭『完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込』(角川文庫)
※5 若林正恭『ナナメの夕暮れ』(文藝春秋)
※6 『週刊現代』2018年11月10日号

ナナメの夕暮れ

若林 正恭

文藝春秋

2018年8月30日 発売