これが後世、「杉谷の1球」と呼ばれる1球だ
では、お待たせしました。この試合のハイライトシーンを書こう。いや、得点経過だけ言えば「単なる追加点の6点目」なのだ。6回裏、リリーフに立ったロッテ・東條大樹を攻め、宇佐見真吾タイムリーで5点目、尚も2死満塁で2番杉谷拳士に打席がまわってきた。押せ押せムードではある。だけど、なぜかファイターズは満塁になると点が取れない。これまで何度ランナーをためては凡退を繰り返してきたか。
残塁の山は心理的な負担になる。巨大な残塁山脈がいつしかチャンスの場面の打者を押しつぶしに来る。もう5対0だと思って安心してると、残塁山脈の尾根から「ざーんーるい」「ざーんーるい」とこだまが聴こえ、選手らはつまらないエラーや投げミスを犯して、たちまち同点に追いつかれてしまう。野球選手は信仰のように告白する。
取れるときに取っておかないと後で祟る。
2死満塁で杉谷。左打席に入った。マウンドの東條はもう一息だという顔をしている。1死満塁・西川は二ゴロでしのいだ。2死まで来れば打たれなきゃいいだけ。球種はカットボール。セットして投じたら、指にかかってしまった。ボールは低く杉谷の足元に……。
その瞬間、杉谷拳士は信じられない技術を見せる。東條のカットボールの球筋を見極め、後ろ向きにボールを避けながら、右足スパイクの裏でボールを受けたのだ。サッカーなら「吸いつくようなトラップ」と形容されるところだ。目線を切っているからカットボール特有の小さな変化には感覚で合わせるほかない。それをピタリと足裏で合わせ、そのまま左回りに1塁へ歩きだしている。球審からいちばん遠い左手でガッツポーズしている。但し、口ははっきり「よっしゃ!」と動いた。
当てた東條は帽子を取って挨拶したが、杉谷のほうは少しも痛くない死球だ。何しろスパイクの足裏だ。ガッツポーズ死球押し出し。これが後世、「杉谷の1球」と呼ばれる1球だ。場内は大爆笑だ。キャッチボールにベンチ前に出ていた河野竜生も笑いをこらえている。
野球は気持ちなんだ。それがベンチを明るくするし、ファンを幸せにする。今年のファイターズは決して強いチームじゃないかもしれないけど、気持ちは出していこうぜ。それが野球の根本だ。ホームランを打つよりカッコいい死球押し出しだってあるんだよ。
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