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連載昭和事件史

致死量の325倍!? 秀才のやさ男が毒殺の「悪魔」に変貌した理由

――“流行”さえも生み出した「青酸カリ殺人事件」 #2

2020/12/06
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殺害された増子校長(読売)

 しかし、いつしか芸者遊びを覚えて待合に出入りするようになった。商売を怠けだし、売り上げは遊びに使うので、「知人や友人からも数千円の借金をし、出入りの待合にも300円近い未払いができていた」(同書)。

 金に詰まって何かぼろいもうけ話はないものかと物色しているうち、友人から、そのまた友人が古物商から買った絵が掘り出し物で高く売れそうだと聞き、売却を斡旋して利ざやを稼ごうと考えた。

 絵を借り出して売り込んだがうまくいかず、持ち主から返済を強く迫られて毒殺を決意。七中の化学教師を訪ねて毒薬の性質や効果などを聞き、自分も本を読んで研究。11月10日ごろ、化学教師のいないすきに亜ヒ酸を盗み出した。

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 2回にわたって紅茶と最中に混入して絵の持ち主の殺害を図ったが、目的を果たせず、3回目には怪しまれたため断念した。この余罪は11月23日付の東日と読売の朝刊で報じられた。

 そのとき、ふと思いついたのは、21日は学校の給料日で、校長が区役所に金を受け取りに行くということだった。「そうだ。それを狙うことにしよう。だがしかし、自分が恩顧を受けた校長ではまずいし、教員の少ない学校では金も少ないから、あまり関係のない校長で、教員の多い学校にしよう。この条件に当てはまる学校は第一に柳北、それから今戸、田中、正徳、小島、清島、松葉の順だ。よし、第一の柳北にしよう」と腹を決めたのである。こうして増子校長の運命は、彼の一存で簡単に決められてしまったのである。「だが、殺害に使う薬は、亜ヒ酸では効かなくてだめだ。何かもっといい物を探さなければならない」。こう考えた彼は19日夜、浅草雷門の仲見世の本屋で薬物関係の本を立ち読みして、青酸加里が極めて猛毒であることを知った。(同書)

 借金返済と遊興費のために、少なくとも約1カ月前から毒薬を使って現金を奪うことを計画。ヒ素(亜ヒ酸)を入手して絵の所有者相手に実行したが果たせず、毒物を青酸カリに、ターゲットを増子校長に変更したことになる。青酸カリの入手経路の自供については11月22日付東朝朝刊が詳しい。

 その朝9時ごろ、かねて顔見知りの浅草光月町、製鉄工場に赴き、時計を直すのに要るんだから青酸カリ2グラムばかり分けてくれと頼み、同工場になかったので、職工の1人が付近の順天堂薬局に行き、青酸カリ13グラムを買ってきた。これを2グラム10銭で分けてもらってきた。

 校長が来るまでの間に明治製菓の女給がちょっとテーブルを外したすきに、前の青酸カリ2グラムを校長の分の紅茶に入れておいた。

致死量の325倍!?

 上野佐「法医学概説」の「青酸カリ中毒」の項には「青酸塩」についてこう書かれている。「致死量0.15グラム。苦扁桃(アーモンド)臭のする白い粉末で青酸カリ、青酸ソーダとして存在する」「用途はメッキ・冶金・写真・果樹殺虫など広く用いられる。そこで市販や保管に厳重注意するにもかかわらず、自殺・他殺の事故が多い」「服毒後、2~3分で死亡する。胃中で胃液によって青酸が遊離し、青酸として吸収され、中枢のまひが起こる」。

 東朝の記事は東日号外の「13匁」に対して「13グラム」。1匁は3.75グラムだから、量がかなり違う。東日は23日付朝刊でも「青酸加里十三匁」の見出しを立て、その全量を紅茶に入れたと書いている。