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爛熟の都市文化から戦争の時代へ

 増子校長を殺害後、鵜野洲は奪った金を持ち「眼鏡を外し、自動車を拾って池袋に飛び、武蔵野鉄道(現・西武池袋線)に乗って大泉学園で下車し、さらに車を飛ばして知人の家を訪ねた。アリバイの偽装工作である。こうして鵜野洲は方々飲み回った末、中野の待合で豪遊し、午後10時ごろ、さらに『志(し)のぶ』に席を替えて遊興していたところを逮捕されたものであった」(「警視庁史昭和前編」)。人を殺して奪った金でどんちゃん騒ぎをしていたわけだ。

 現代にも通じる刹那的、享楽的な犯行態様。翌年起きる「阿部定事件」にも通じる。そこには何が反映していたのだろうか。

 この年、天皇を国家の最高機関とする「天皇機関説」が排撃され、天皇中心の国体観念を強調する「国体明徴」が合言葉に。陸軍統制派のリーダー永田鉄山・陸軍省軍務局長が刺殺された。東京などの大都市はまだ爛熟した都市文化を謳歌していたが、国家主義の匂いが広がり、戦争の足音が遠くに聞こえていた。

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 東京の盛り場の中心も浅草から銀座、そして新宿、渋谷に移りつつあった。そうした変化のさなかにこの事件は起きた。やがて来る暗い時代への不安が色濃く反映していたと思える。

 1937年10月27日付東朝夕刊2面最下段にベタ(1段)記事が載った。「鵜野洲武義(29)は先に大審院で強盗殺人罪で死刑確定。26日午前9時、東京拘置所において死刑を執行された」。同じ面には、6年前の上海事変で「肉弾三勇士」を生んだ廟行鎮を日本軍が再び占領したニュースがトップを飾っていた。

【参考文献】
▽「警視庁史昭和前編」 警視庁史編さん委員会 1962年
▽増子菊善・酒井源蔵「樽を机として」 誠文堂書店 1923年
▽今和次郎編纂「新版大東京案内」 中央公論社 1929年
▽加太こうじ「昭和犯罪史」 現代史出版会 1974年
▽「明治製菓の歩み 創業から70年」 明治製菓 1987年
▽初田亨「カフェーと喫茶店」 INAX ALBUM18 1993年
▽上野佐「法医学概説」 医歯薬出版 1964年
▽榊原昭二「昭和語 60年世相史」 朝日文庫 1986年
▽「世田三郎風刺詩集・百万人の哄笑」 時局新聞社 1936年
▽永井荷風「濹東綺譚」 烏有堂 1937年
▽小沢信男「犯罪紳士録」 筑摩書房 1980年
▽週刊朝日編「父の戦記」 朝日新聞社 1965年