あえて漫画では触らなかった、原作の面白い部分
――今、長い漫画という話になりましたけど、原作の『タイニーストーリーズ』は短編集で、とても短いお話が21本入っていましたね。コミカライズは大変だったのではないでしょうか?
内田 たしかに分量は短いけれど、とても情報量が多かったです。21本の中から全部で6本の短編をコミカライズしたのですが、徐々に「こうやってみよう」「ああやってみよう」と挑戦していきました。
山田 私の小説って、エンタメ系の面白さにあるような、ストーリー展開で読者を引っ張っていくタイプではなくて、文章でその世界を吟味してもらうところがあるんです。ビジュアルでそのまま表現するのは、とても難しいと思う。だから、自分の小説が漫画とか映画になるとしても、作品の芯にあるテイスト、譲れない部分がちゃんと出ていれば全く別なものでもいいな、と思っていて。春菊さんのコミックは、自分の作品でありながら、自分の作品でないような、急に平面にあったものが立ち上がってきたような感じを受けました。
内田 嬉しいです。漫画では、あえて「これは小説が好きな人のために取っておこう」と触らない部分も作りました。例えば「百年生になったら」の主人公の主婦は、非常に文学に詳しい人で、本当は色々なことを知っているのですが、その部分は山田さんの小説で読んでもらおうと思って、あえて漫画には入れていないんです。
――1月22日発売の「オール讀物」2月号には、お二人の対談と「モンブラン、ブルーブラック」が掲載されます。小説家が主人公の短編というのはこの中では1本だけですが、どんなところから着想を得たのでしょうか?
山田 この作品は、フランソワーズ・サガンの評伝を読んでいて、生まれました。小説家のエゴみたいなものを、センシィティブできれいな言葉で書きたいなと思って。きれいと言っても、作家の持つ業を才能で美しさに変換したような。そんな小説を書く人って、ブルーブラックのペンを使うんじゃないかなって。そして作家の身勝手さをブルーブラックの闇に埋め込んでいく感じで書きたかったんです。
内田 私、この小説のすべてが大好きで。主人公がただの可哀想な女性ではないんですよね。親友の恋人を奪った過去を持っていて、それが物語の伏線になっている。「奪った方はまた奪われる」ということがきちんと書かれていて、素晴らしかったです。
――内田さんの漫画は、山田さんの怖い部分、ドキッとする部分をちゃんと拾い上げていましたね。
山田 立体的に迫ってきますよね。