『最後のダ・ヴィンチの真実』(ベン・ルイス 著/上杉隼人 訳)集英社インターナショナル

 美術のニュースが大きく報道されるとき、それはたいていお金の話に置き換えられる。このときもそうだった。「13万円で買われた絵が、なぜ510億円に?」

 1500年頃に描かれた肖像画。レオナルド・ダ・ヴィンチ作とされ、「サルバトール・ムンディ(世界の救世主)」と名づけられたキリスト上半身像。青いローブをまとい、右手で祈りを捧げ、左手に世界を表すオーブ(宝珠)を持つ。

 イングランド王チャールズ一世が所有していたという。彼が1649年に処刑されたあと、行方がわからなくなるが、1763年と1900年と1958年に競売などで美術マーケットに浮上し、消えた。

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 そして、2005年アメリカの地方のギャラリーのオークションに出現したところからこの絵の運命は急展開を迎える。このとき、予想最低落札額を割る低い値段1175ドル(約13万円)で落札した無名の美術商は、修復を依頼した後、08年、ロンドン・ナショナル・ギャラリーで専門家らへのプロモーションを仕掛ける。本書の物語はその美術商が一世一代の勝負をかけてロンドンに向かうフライトから始まる。結果、彼は11年、同ギャラリーでの「レオナルド・ダ・ヴィンチ―ミラノ宮廷の画家」展に出品することに成功した。

 その後、ロシアの大富豪が買い、17年11月、クリスティーズのオークションに出て4億5000万ドル(約510億円。手数料込)で落ちる。落札者はアラブ首長国連邦文化観光省の依頼を受けたサウジアラビアの王子との報道があった。

 1枚の絵が発掘され、多くの思惑と欲望を呼び覚ました様を本書は綿密に追いかける。有名美術館の権威を利用して、作品の価値を決定づけようとする駆け引き、あるいは絵を所有することが国家間の威信をかけた争いともいえる場面も。

 17世紀の王侯貴族から、現代の美術商、修復家、オークショニア、評論家、ロシアの大富豪、中東の石油王まで癖の強いキャラクターが次から次に登場し、ノンフィクションなのにまるで傑作ミステリーだ。読み始めから、ぐいぐい引き込む。

 ちょうど1年前、僕はルーヴル美術館で開催された「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」を見ていた。没後500年の節目の回顧展だ。

 当初そこにこの絵も並ぶはずだった。そのためにフランス下院が特別法まで通過させたのだが出品は見送られた。残念だ。ルーヴルが展示の際「レオナルド・ダ・ヴィンチ作」と明記することを約束できなかったためと言われている。公式カタログには作者名無しで図版が掲載されている。幻の出品作となったこの絵が、現在はどこにあるのか、実はそれもわかっていない。

 絵の行方、作者の確定はともかく、レオナルドは史上最高価の画家となった。「視覚こそがこの世界の美しさを包み込むのだ」と主張した彼に相応しい誉れを得たのは確かである。

Ben Lewis/英国生まれ。英国を中心に著述家、ドキュメンタリー・フィルム制作者、美術評論家として活動。主な著書に共産主義政権を揶揄した『Hammer & Tickle(未訳、ハンマーでくすぐる)』、テレビシリーズに『アート・サファリ』等がある。
 

すずきよしお/編集者、美術ジャーナリスト。『BRUTUS』の元副編集長。明治学院大学、愛知県立芸術大学非常勤講師を務める。

最後のダ・ヴィンチの真実 510億円の「傑作」に群がった欲望

ベン・ルイス ,上杉 隼人

集英社インターナショナル

2020年10月5日 発売