1ページ目から読む
4/4ページ目

被告人の不満

 それからしばらくして、土谷と弁護人は、それまで不同意としてきた被害者、遺族の供述調書の証拠採用に同意した。

 その日の公判では、地下鉄サリン事件に続いて、松本サリン事件の遺族が証言する予定になっていたはずだった。だから、それもすべて取り消し。

 さすがにもう聞くに耐えられなくなったのだろう。

ADVERTISEMENT

 それでも、土谷が事件について前向きに証言することは、まずなかった。

 なにがそんなに不満だったのか、ことの真相は知れないが、信頼関係が深いと思われたこの時の弁護人をある時、突如として解任。さらに新しい弁護人が就くも短期間で再び解任。やむなく裁判所が国選弁護人を3名就けて解任できないようにしたが、それでも意思の疎通ははかれず、公判でも「もう、やめましょう」と発言して諦観をあらわにしたり、公判手続きを面倒くさがって不貞腐れたり、積もり積もった不満を当り散らすような態度が続いた。

 この一審裁判では死刑。

©iStock.com

 これを不服として控訴したはずの二審の裁判では、もはや出廷すらしなかった。

 そんな土谷が、まだ機嫌の良かったころ、事件については一切触れることはなかったが、井上嘉浩の法廷で入信動機を聞かれて、こう答えたことがあった。

「高校生の時、人間は脳細胞の数%しか使われずに死んでいくと知り、なんて非効率的な生物だろうと思いました。それを100%使えるようになるものはないか。それで、流れるまま大学に進み、そこでオウムを知りました」

 そこで自分の才能を引き出してくれる麻原という存在と出逢った。

 そんな土谷がサリンを作った。

 そのサリンが多くの人の命を奪った。

私が見た21の死刑判決 (文春新書)

青沼 陽一郎

文藝春秋

2009年7月20日 発売