「相手を殺す必要があるとき」は柄のお尻の部分に手を添える
私たちがナイフを使う目的は脅しではなく、相手を流血させることなので、なるべく目立たないことを心がけます。刃が自分の体から外側に向くように、逆手に握るのがよい持ち方です。こうするとひと目ではナイフを持っていることがわかりづらいうえ、フックを打つように振るえば、長く深い切り傷をつけることができます。相手を殺す必要があるときは、柄のお尻の部分に手を添えて押し込むようにするとしっかりと深く刺すことができます。
喧嘩の最中、人は無我夢中になり、ちょっとやそっとの痛みでは止まりません。しかし、自分の体から大量の血が流れているのに気がつくと、その目に明らかなおびえが宿ります。アドレナリンがすっと引いていくのが傍目にもわかるのです。そうなってしまえば、相手の戦力はゼロになったも同じです。(略)
ターニングポイントとなった1989年「浦安事件」とは?
90年代になると怒羅権はさらに過激化していきます。パトカーや交番に放火したり、警官を襲って拳銃を奪おうとしたり、ヤクザ事務所を襲撃したりといった事件を起こすようになりました。
その行動原理の根底にあったのは警察やヤクザに対する敵対心です。
私たちがそうした心情を抱く契機となった象徴的な事件が2つありました。
1つは1989年の「浦安事件」です。
5月28日未明、怒羅権のメンバーの1人が市川スペクターという暴走族のメンバーをナイフで刺し、殺してしまいました。
当時は暴走族の対立が激しい時代でした。首都圏東部では浦安ナンバー1、アイ・シー・ビー・エムグループ、市川スペクターなどのチームが乱立し、覇権を争っていました。
事件の日、浦安ナンバー1が市川スペクターに襲撃されるという噂があり、怒羅権のメンバー8人が事の顛末を見届けるため、浦安ナンバー1がたまり場にしているボーリング場にいきました。理由は定かではありませんが、そこで市川スペクターのメンバー数十名に襲撃されたのです。
相手を刺殺してしまったB君は、集団で羽交い締めにされ、鉄パイプで殺されかけたと裁判で証言しました。なんとか逃げようとしましたが追いつかれ、闇雲にナイフを突き出したところ、相手に致命傷を与えてしまいました。
私はこのとき中学3年生でした。実はたまたま現場の近くにいて、無数のパトカーのサイレンを聞き、かけつけたのですが、そのときには全てが終わっていました。
私たちの言い分としては、B君は正当防衛です。ナイフはたしかに問題ですが、相手は圧倒的な多勢ですから、そうでもしなければ殺されていたでしょう。しかし、B君は逮捕され、殺人、殺人未遂、盗み、銃刀法違反で少年院送致が決定しました。
怒羅権の多くの者が憤りました。非常に不公平な判決と感じたためです。
最終的には弁護団の努力によって正当防衛が認められ、B君は無罪となりましたが、私たちの境遇や心情をまったく汲み取らずに不当な刑罰を押し付けてくる警察と司法に極めて強い不信感と怒りが生まれました。