1ページ目から読む
3/3ページ目

 さすがに女性絡みの話をすべて厳禁にするのははばかられたので、「うかがってもいいですけど、1回5分までで」。今思えば我ながら随分な制限をかけたと思うが、そう言ってみた時のポンタさんの拗ねた表情は忘れられない(ごめんなさい)。

マイルス・デイヴィスの「死刑台のエレベーター」のような録音をやりたいと語っていたポンタ(「自暴自伝」より)

 以来、取材前にボーヤ(今でもそう呼ぶのかな)に必ず買ってこさせていた缶チューハイがいい感じに回ってきて、その手の話題に風向きが変わろうとした時でも、「アンタはこういう話になると、どっと血圧が下がるんだよな」。そう言いながら、あまり長くはならないよう手控えてくれた(気はする)。

森高千里、ドリカム吉田美和へのリスペクト

 けどね、森高千里のドラミングの素晴らしさや、ドリームズ・カム・トゥルーの吉田美和の言葉選びの巧みさの秘密を敬意を込めて語っている時に比べると、“男の勲章”としてのお姉ちゃん噺って、おもしろくなかったんですもん。今だから言ってますけど。その意味では“旧き佳き”バンドマン的な気風とマチズモを、併せ持った人ではあった。

ADVERTISEMENT

「俺、ドラマーとしてのチーさまを、冗談抜きで尊敬してるんだ」(「自暴自伝」より)と語っていた森高千里のドラム。98年にリリースされたポンタのデビュー25周年作品「Welcome to My Life」でもドラマーとして参加(写真は森高のFacebookより)

 とはいえ、ポンタさんの名誉のためにここは強調しておきたい。女性の取材者だからといって嵩にかかってマウンティングしてくるような瞬間は、インタヴュー中一度もなかった。今思い返してみても、そこは断言できる。基本、豪放磊落を絵に描いたような語りであり、実際破天荒な人生を送っていた(なにせ、医療刑務所での生活まで経験されているのです)のに、品下ったところは微塵もうかがえなかった、というか。「読後感がいい」とは、『自暴自伝』を読んでくれた方たちの多くから寄せられた感想だが、ポンタさんのそうした人となりが、そこには大きく影響していたと思う。

 取材当時、ポンタさんは52歳。今の自分より10歳以上若かったことになる。人生の経験値のあまりの違いゆえだろう、はるかに世代が上の相手にインタヴューしている感覚があったのだけれど……。それなりに面倒くさい取材者であることは自覚していたので、かれこれ7~8年前、前述したライヴ・スペースで偶然再会した時、『自暴自伝』を気に入ってくれている様子が見てとれたのは、素直にうれしかった。突然こうしてお別れを言う日が来るとは夢にも思っていなかったけれど、ご縁があったら、来世でまたお話をうかがわせてください。ポンタさんとしては、「すごい美人か、さもなきゃドラムを習いに来い!」。そう言いたいところかもしれないが。

自暴自伝――ポンタの一九七二→二〇〇三

村上”ポンタ”秀一

文藝春秋

2003年12月5日 発売