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周囲の舌打ち、改札から乗車まで20分…健常者が知らない“車椅子移動のリアル”

2021/04/22
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理解されないから「わきまえる」方を選んでしまう

 こうした日常を送る身としては、伊是名氏の発信はごく自然で公益に資する内容に思える。駅名を公表したのも中傷するためではなく、個人店とは違う公共財だからだろう。少なくとも私は3駅のバリアフリー状況を知れた。

 また、1日の利用者が3000人以上の駅には法律で特に段差解消が求められている事や「階段のみの駅でも普段時間はかかっても駅員を集めてくれている」旨の記述などは、今まで我慢が当然と思ってきた私には青天の霹靂だった。これらは生活にすぐ役立つ情報であり本当にありがたい。

 だがその肌感覚は、車椅子ユーザーでない人、特に出歩く障害者を殆ど見かけない地域の人には理解しづらいのかもしれない。また伊是名氏は政党にコミットしており、声の上げ方もメディアとの繋がりをフル活用したものだった。それらはほとんどの人に真似できない故に「強者のやり口」と捉えられたのだろう。

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 確かに私も、もし全ての事情を個々人にその都度丁寧にお伝えできるならそれに越したことは無いし、今後の生活でも従来通りその努力はしたい、とは思う。

 だが主張する上でそれを必須条件とすべきではない。駅もバスも人も無数に存在する中で、個別の事情の説明を毎回行うのは莫大な手間と労力が要る上に理解されない事も多い。私が九分九厘黙って「わきまえる」方を選んでしまうのはそのためだ。

 こうした小さな諦めは交通に限らず生活全般に無数にあり人生の幅をじわじわ狭めていく。それでも辛うじて息ができるのは、彼女のように定期的に原理原則を唱える「わきまえない」障害者のお陰だ。

権利を勝ち取った上の世代、存在価値を示した私たち

 同時に、障害者も息をして生活する同じ人間だと分かってもらうことも重要である。私達が健常者の視界に入るのは、要求を突き付けている時か介護されている時が多いだろうが、それ以外の姿をいかに見せていくか。

 口で言うほど簡単ではない。上の世代は権利を勝ち取ることに命を懸けた。その成果を引き継いだ私達アラサーは、必死で健常者に伍し、自らの存在価値を示し、モデルマイノリティー(模範的な少数者)たらんと努めてきた世代だろう。帳尻を合わせるために無理を重ね、常に気を張り、もう一杯一杯になってしまった感がある。だがたとえ形式的であっても、学校や職場で障害者が健常者と机を並べてきたことには何かしら意味があったと思う。

 願わくば次の世代には、それとも違う、真の善き隣人としての関係を互いに築いていってほしい。要は障害とは無関係な馬鹿話をサシでできるような友達同士になることだ。そうした繋がりが当たり前になっていくことが、様々な懸案を解決していく上でも大きな力となるに違いない。

周囲の舌打ち、改札から乗車まで20分…健常者が知らない“車椅子移動のリアル”

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