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「差別ですよ」「それならもう携帯はいらない」ガラケーサービス終了に抗議する愛用者の「言い分」

2021/05/17

取引先と24時間、365日やり取りすることになる

 ガラケーを使い続ける中高年世代には、内山さんのように「スマホの操作を覚えるのが面倒」と思っている人が多いという。しかし、デジタル環境に慣れているにもかかわらず、なぜかガラケーにこだわる人もいる。

 中堅商社勤務の鈴本康太さん(仮名、58歳)は、会社だけでなく自宅でもパソコンを使っているが、携帯はガラケーにこだわり続けている。周囲にスマホをすすめられても、頑として断るという。その理由は、ひと言でいうと「アナログへのこだわり」だ。

「スマホが普及し始めたころ、大きな病気になって入院したんです。退院したのはちょうど桜が咲く時期で、昼間に電車に乗っていると、車窓から美しい桜並木が見えた。風が吹いていたので桜吹雪のなかを電車が走っているような感じでしたね。でも、外を見て『きれいだな』と思ったのは私だけで、ほかの乗客は誰ひとりとして桜並木に気づきませんでした。

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©️iStock.com

 なぜ桜に気づかなかったのかというと、その車両にいる人はみんな下を向いてスマホを見ていたからです。その瞬間、スマホの弊害を強く感じました。定年を目前に控え、私の人生も終盤に入った。今後は目にするものすべてが最後のアルバムのように貴重なものになります。スマホに夢中になって大切なものを見落としたくないと思ったんです」

 そもそも「スマホは便利すぎる」というのが鈴本さんの考えだ。スマホがあれば、どこにいようと何時だろうと、すぐに情報を取ることができるし、メールに添付されたファイルを確認したりすることもできる。しかし、便利さというのは、じつは不自由さと裏表の関係にあるもの。鈴本さんは、スマホを持つことで不自由になるのが嫌なのだという。

「私は商社で働いているので、海外企業と取引をします。すると、時差の都合で仕事が深夜や休日にずれ込むことがザラにあったんですね。そこへスマホまで持ってしまうと、取引先と24時間、365日やり取りをすることになる。それって命を削るようなものじゃないですか。体力のある若い世代ならともかく、私はそうやって仕事だけに縛られるのも嫌だった。

 結局、スマホを持つと、人間がスマホに使われてしまうんですよ。だから、私は会社や取引先には『スマホを持ちません』と宣言し、そういう人間だと認知してもらいました。周囲に呆れられているかもしれませんが、ガラケーがある限りは使い続けます」