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台湾生まれの作家、李琴峰が語る『三体』「人間の業を痛感させる文化大革命の描写は、溜息なしには読めない」

2021/05/31

source : 文學界 2020年10月号

genre : エンタメ, 読書, 国際, 娯楽

note

 逆に、エンタメ小説を読むことはベッドに横たわり、気持ちのいいマッサージを受けることに似ている。読む側がそこまで力を入れなくても、場合によっては少々読み飛ばしても一向に構わず、テキスト側は勝手に読者の方へ歩み寄り、極上のサービスを提供するよう努めてくれる。明快な筋に沿って物語は進み、張った伏線はしっかり回収され、謎はちゃんと解かれ、大詰めにはクライマックスの場面が置かれ、そして結末へ持っていかれる。優れたエンタメ小説を読み終わった後は不完全燃焼にもならないし、お腹がいっぱいになり過ぎることもない。何もかもがちょうどいい塩梅である。まさに至れり尽くせりだ。

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『三体』シリーズがそんなエンタメ小説である。物語の筋は明快この上なく、むしろ異星人が地球に襲来するという割かしありふれた話なのだが、各巻にはメインとなる主人公(汪淼、羅輯、程心)がいて、明確な動機または解くべき謎が与えられ、いくつかの伏線と紆余曲折を経た後はちゃんとクライマックスの場面が設けられる。このクライマックスは極めて鮮烈なビジュアルを伴うもので、読む者の胸にしっかり刻み込まれる。例えば十年後、小説の中のあらゆるディテールの記憶が薄れても、クライマックスの場面だけは色褪せないだろう。それほどインパクトのある場面であり、そしてそんな場面が存在することは、エンタメ小説にとって大きな強みであるに違いない。そんなクライマックスは、第一部『三体』においては「古箏作戦」であり、第二部『黒暗森林』においては「終末決戦」であり、そして第三部『死神永生』においては――おっと、これだけは言っちゃいけない気がする。

 ところで、SFファンでもなければベストセラーも読みたがらない私が『三体』を手に取ったのには、訳があった。ある日ネットで、「降維打撃」という言葉を見かけたのだ。これは『三体』シリーズから来る用語で、日本語に訳すと「次元下降攻撃」といったところだろう。何かというと、敵が存在する空間の次元を一つ減らすというものだ。三次元の生き物であれば、二次元に押し込まれることになる。すると二次元では生きられないので、必然的に消滅する。なにそれ! なんという想像力! 地球に攻めてくる三体人が銃か何かを持って「降維打撃」を繰り出し、地球人を次々と二次元に押し込めていく、そんなシーンが脳裏に浮かび、マジか面白っ! って状態になって『三体』を読み始めたのだった。ところが予想は見事に外れた。「降維打撃」はそんなものじゃなかった。じゃどんなものかって? それは読んでからのお楽しみということで。

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壮大な時間軸

 まず『三体』三部作の物語内の時間を見てみよう。

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