電話の声は低いテンション
そんな小池知事について、さらに知見を深めることはあながち無駄ではないだろう。彼女の人物像を物語る3年前のエピソードを以下に紹介したい。
市場移転問題に次長として関わっていた期間、筆者はケータイで直接、小池知事とやり取りをしていた。こちらから報告を入れることもあれば、知事から指示が伝えられることもあった。昼夜土日を問わずだった。
意外に思われるかも知れないが、小池知事の電話の声は低く抑揚がない。ケータイを通して耳にする声は、ある意味、不気味だった。筆者が知事から信用されていなかったからだとは思うが、メディアに見せる姿とのギャップに困惑した。電話に出る度に、知事の低音ボイスに気が滅入った。
小池知事は喜怒哀楽を表に出すタイプではない。声色を変えて媚びを売るのは、取り入って自分の立場が有利になると見込んだ政治家や業界の有力者に対してだけである。そんな小池知事に私は何度も叱責を浴びせられた。叱責と言っても金切り声で怒鳴られるわけではない。たいていの場合、冷たい視線と冷酷な言葉を投げつけられ、心臓を一刺し、ズブッと貫かれるのである。
2018年の年明けのことだった。世間を騒がせた市場移転問題は、前年暮れに最後の障害となっていた豊洲市場の地元である江東区長との移転合意が成立し、いよいよ残るは豊洲市場の主要建物地下の追加対策工事だけになっていた。
「知事が激怒しています」
1月10日の午前中、市場長以下市場当局の管理職のほとんどは江東区議会の特別委員会に出席のため不在、留守番役の筆者は正月明けのまったりした雰囲気に浸っていた。午前10時過ぎ、知事補佐官から電話が入った。筆者は軽い気持ちで受話器を取った。
「知事が激怒しています」
補佐官の言葉をにわかに理解できなかったが、お屠蘇気分は一発で吹っ飛んだ。原因は豊洲市場を紹介する簡易なパンフレットだった。前日の午後、市場当局の広報部門が刷り上がったばかりのパンフレットを都議会各会派、マスコミ各社に配布した。その事実を市場長と筆者が知ったのはパンフレットが既に配布された後のことだった。
「知事に届けたのか」との質問に、広報担当は「いえ、まだです」と返答した。
「す、すぐに届けてくれ。補佐官を経由してでもいいから、一刻も早く」
10日朝、ある全国紙がパンフのことを小さな囲み記事で取り上げた。運悪く、パンフレットが知事に届けられたのはその日の朝だった。
「なぜ知事である私が都議会より遅く、しかもマスコミより後に知らされなきゃならないのっ」小池知事は珍しく声を荒げた。
「考えられない……」
知事の独り言は補佐官の耳にはっきりと届いた。補佐官によれば、知事の怒りのボルテージは、2016年9月に豊洲市場の建物下にあるべき盛土がなく地下空間が存在したことが発覚した時よりも激しかったという。
「とにかく、11時20分に知事執務室に来てください」
「わかりました。市場長は江東区議会なので私が怒られに行きます」
「お願いします」