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――その時の『Quick Japan』のインタビューをあらためて読むと、光浦さんは「自分はこの番組にそんなに役に立ってない」みたいなことを話されていました。

光浦 私も思うんだけど、私のことを「芸人」というカテゴリーに入れるから、面白いだ面白くないだって言われちゃって。もう一個別の名前の職業が、私にフィットする職業の名前があったら、たぶん私はもっと堂々と生きていたのかなと思います。

――『50歳になりまして』の中でも「自分は芸人という肩書きではない」と書かれていますよね。芸人という肩書きに違和感はありますか?

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光浦 舞台でスタンドマイク一丁で「さあ、笑いを取ってください」と言われたらできないから、やっぱりその職業ではないんだろうなって思う。「おしゃべり」っていう職業があればね(笑)。そうすればフィットしてたのかな。

 

――肩書き「おしゃべり」。

光浦 私の肩書きが「おしゃべり」だったらもっと自由に生きていたかなぁ。

人生2個目の職業に向けて「よし、今だ」

――留学を決めたのはその「自由」への第一歩ということでしょうか。先日伊集院(光)さんのラジオで光浦さんが「願望地縛霊」のお話をされていて、あの時ああしていれば……という願望に縛られ続けるのが嫌で、だったら今からそれを叶えていこうと。確かに自分もそういう言い訳たくさんしながら生きてるなって思いました。

光浦 そうね……。あとは、私は職業も特殊だし、ちょっと他の人と違うしね。結婚してないし、子どもも居ないというのは、私の世代だとすごいマイノリティになると思うんですよ。だから、みんなが同じようにできるかどうかは分からない。ただ私は、再就職先じゃないけど……人生、2個目の職業って絶対あると思うんです。

 

――2個目の職業。

光浦 女性なんか特にね。子どもを産んで子育てして、もう一回復職する人も多い。そこからは死ぬまでやる、そういう2個目の職業って、ザックリするとあるじゃないですか。私は1回目の就職はうまいことヒョロッと行けちゃったんです。何の努力もせずに。だから、今は2個目の職業に向けて、ボチボチね、人生初の就職活動のためのお勉強をしようかなって。

――自らの意思で職業を選ぶということですね。

光浦 そうそう。自分の体力とキャラクターを分かったうえで。