革命家「ゲバラ」を通じて、今どうしても伝えたいこと
阪本 一巻目の『ゲバラ覚醒』と、二巻目の『ゲバラ漂流』。二つの旅を描いていますが、海堂さんのなかでは、どんな違いがありましたか?
海堂 一巻目は完全な無名の、何も背負っていないエルネストという青年の旅でした。二巻目では医師になって、中南米各地の革命を目の当たりにして、ゲバラは社会的存在になっていきます。作中でゲバラが、1952年のボリビア革命に遭遇するのは、フィクションなのですが、このシリーズの構造上、どうしても必要だった。
阪本 フィクションでしかやれないことはありますよね。以前、『闇の子供たち』(2008年公開)という子供の人身売買、臓器売買の映画を撮ったんですが、社会的問題に対してフィクションはドキュメンタリーに劣るかというと、そうではない。ドキュメンタリーでは、子供が虐待されている場面は撮影できないですが、映画ではできる。フィクションのほうが真理に迫ることができると考えています。海堂さんの『ポーラースター』も、フィクション性があることで、1950年代の中南米の“真理”が描かれていると感じました。
海堂 有り難うございます。
阪本 それにしても、ゲバラが持っていた、「ラテンアメリカこそが、わが祖国」という発想はすごいですよね。ゲバラは、そういった価値観というか、真理を求めたからこそ、中南米を漂流したんでしょうね。
海堂 知りたいことを見つけて、答えを求めて自ら行動するのは、人生において大事なことだと思います。最近は、そういう人が少なくなってきていますよね。
阪本 今回の映画でも、ウェブ上では、「無名の人物をなぜ映画化したのか」という声もあります。光が当たっていない人物をあえて描く、というのが私たちの役目だと思って映画を作ってきました。小説や映画で「知らないこと、分からないこと」に直面することが快楽である、という時代ではなくなったのかなぁ。
海堂 自分が興味を持っているものだけに接していると、世界は確実に縮んでいきます。そうなると、人は多様性を失い、排他的になり、ゆくゆくは破滅してしまう。
阪本 僕もフレディという存在に巡り合わなければ、未知なるラテンアメリカについて考えようとは思わなかったでしょうね。映画の企画を始めてすぐに、日系人が主役だから、日本人の私に撮れる、というのは大間違いだということに気が付きました。彼は日本の血を引くからではなく、ラテンアメリカに生まれたものとしての矜持で行動していたんです。だからこそ私も、ラテンアメリカへ思いをはせていかないと、この映画の脚本を書けなかった。そのなかで、海堂さんの『ポーラースター』に出会えて幸せでしたよ。
海堂 小説の世界でも、日本人の主人公を設定して南米に送り込むというのは常套手段ですが、今回はしたくなかった。ラテンアメリカで完結する物語を読み終えてもらった後に、日本人に響くような小説にしたいと思っています。
阪本 映画を見て、どう感じてもらうかは、見た方の自由ですので、押し付けるつもりはないのですが、今回一つ思うことがあるんです。
海堂 ぜひ聞かせて下さい。
阪本「エルネスト」という言葉の語源は、真面目、真剣というものがあるらしいのですが、言語学に詳しい人によると、「目的を決めたうえで、それに向かって突き進む」という意味があるようなんです。今の日本の若者は、何もしていないうちから諦めている人も多い。海堂さんの描くゲバラや、フレディの生き方を見て、目的を決めて、真剣に突き進むことの大切さを、感じてほしいと思っています。
海堂 ゲバラは39歳で、フレディは25歳という若さで人生を終えています。若さの強みは、自分の理解を超えたものにチャレンジできることだと思います。自分に関係ない事象と距離を置くのではなく、本や映画に接して、未知の世界という冒険への第一歩を踏み出してほしいですね。