1ページ目から読む
5/5ページ目

息子が命の危機にあってもギャグをやった

 由輝くんの病気が発覚したときのことは、次のように語られている。

「『すばらしき仲間』のリハーサルのときでした。石倉三郎さんと小松政夫さんがいました。女房に電話したんです。休憩時間に。そしたら女房が、『ゆうちゃんだめかもしれない。手術しても助かるかどうかわからないんだって……』と。目の前がフワーッとしましたよ。それでも本番では笑いながらギャグをやって、あとで石倉さんと小松さんには泣かれましたよ。『どうしていってくれなかったんだ』って。とりあえず『すばらしき仲間』が終わって、次はフジテレビの『夕やけニャンニャン』の司会でした。つらかったです。本当につらかった。車のなかでマネージャーに、『こういうときの仕事はつらいね』って冗談っぽくいったのを覚えています。で、フジテレビに着くとすぐ、リハーサルなしの本番でしたから、マイクを持っていきなりね。ギャグをとばしながら、ふと見るとマネージャーが壁にもたれて、しゃがみ込んで『ウオー、ウオー』って声を出して泣いていて……。局を出たら夜中。車のなかから見る街の景色が歪んでいて、なんだかショッパイものが唇をぬらしているんです。自分じゃ気が付かなかったけど、泣いているんですよ。泣いてるという実感もなしに泣いてるなんて、ああいうの初めてだったな」

 活字を追うスピードと胸の鼓動がシンクロした。

©文藝春秋

子供を殺そうと思った、「俺は最低な父親」

 そして手術の日を迎える。

ADVERTISEMENT

「この子を生かすって大変でしたよ。ほんとうに子供を殺そうと思いましたからね。ベッドで寝ている姿を見て、『やっぱりこいつは殺してあげたほうがいいかな』って。仕事の合間をぬってなんとか病院に顔出したら、手術が終わって、エレベーターから子供のベッドが、すーっと出てきたんです。点滴がダーっと下ってるんですよ。まだ生まれて間もないのに、口だけが出て、あとは全部包帯なんです。体という体には全部管が刺さってるんです。それ見た瞬間、ワタシね、泣いたな。……俺は最低な父親だって。こんなに必死で生きて、こんなに頑張ってる子供を、俺は殺そうと思ったんですから。情けなかったですね。そのうち子供を乗せたベッドが遠ざかっていって、私は通路に向かって叫びましたよ。我慢できなくて、叫びました……『ユキ! とうちゃんだぞッ、俺はお前のとうちゃんだぞ!』。どなりましたよ。どなりましたねぇ」

 稲川さんの語りに、冷静沈着なマスクマンの中身であるべきボク自身が、心を鷲摑みにされ、本来の役目を忘れ……ウォーッと滂沱の涙を流していた。

 ここにある稲川さんの心境を考えれば─―言葉もない。

 そして、これは活字で語られることがあっても、芸人がテレビでは晒すべきではないアンタッチャブルな領域ではないか。

【続きを読む 「人の病気や哀しさを活字にして、泣けるなんて言われると…」 水道橋博士がDaiGo発言に思う、理不尽な"幸不幸”】

藝人春秋 (文春文庫)

水道橋博士

文藝春秋

2015年4月10日 発売