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「ほんとうに子供を殺そうと思いましたからね」 稲川淳二が語った“難病を抱えた次男”と“妻との別居”

「ほんとうに子供を殺そうと思いましたからね」 稲川淳二が語った“難病を抱えた次男”と“妻との別居”

『藝人春秋』より#2

2021/08/22

source : 文春文庫

genre : エンタメ, 芸能, テレビ・ラジオ, 読書, 働き方

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 8月7日、メンタリストのDaiGoは、自身のユーチューブチャンネルで、「ホームレスに存在価値はない」「生活保護の人たちに食わせるくらいなら、猫を救ってほしい」などと発言し、批判が殺到した。

 ホームレスや生活保護受給者など、社会的弱者を切り捨てるような発言を目にした浅草キッドの水道橋博士は、ある芸人の姿を思い出したという。その芸人とは、怪談話で知られる稲川淳二氏。実は、稲川氏の活動の影には、難病を抱える次男の存在があったのだ。水道橋博士が芸人の姿を紹介した書籍『藝人春秋』(文藝春秋)より、稲川氏の家族の実像を紹介する。(全3回の2回目/3回目を読む)

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©文藝春秋

優秀な工業デザイナーとしての実績を持つ稲川さん

 稲川さんの経歴も芸人として異色である。

 東京の渋谷で育ち、小学校の頃は遊び場だった有栖川公園で、すでに地元の顔役だった安岡力也と遭遇していて愚連隊のような学生生活を送る。

 しかしそのまま不良としてグレることなく、幼少時から得意だった絵の才能を活かすために、デザインの専門学校「桑沢デザイン研究所」に進む。

 卒業後、工業デザイナーとして、レーシングカー用のシートや浜名湖マリーナなどを手がける。

 その後、テレビ局の舞台美術を手伝ったり、友人に頼まれた結婚式の司会をしている時に、天性の座持ちの良さを偶然同席していた放送作家に見初められスカウトされる。

 ひょんなことから『オールナイトニッポン』二部のパーソナリティに大抜擢されて本格的に芸能界にデビューする。

 その後、テレビ番組のリポーターなど芸能活動の傍ら、再びデザイナー業にも力を入れており、1996年には「車どめ」のデザインで通産省選定グッドデザイン賞を受賞している。

 つまり、なぜ、あえて芸人を続けているのか不可解に思えるような才能の持ち主なのである。

いじめられ、いたぶられ、リアクション芸の先駆者

 そんな多面的な才能を持つ稲川さんだが、ボクにとって芸人・稲川淳二とは、やはり「お笑いスタントマン」「芸能界のサンドバッグ」「芸能界一のいじめられっこ」こそが馴染み深い。

 この分野でも話に事欠かない。

「マスクをしないと肺が凍ってしまうマイナス180度の部屋に裸で入る」

「サボテンに抱きついて包帯でぐるぐる巻きにさせられる」

「檻の中に入って口に口紅を塗ったトラにキスマークをつけてもらう」

「4千匹のマムシがうごめくプールで個人メドレー」

 などなど─―テリー伊藤演出によるリアル・シミュレーションの企画は今やバラエティ番組の王道だが、稲川さんこそが、いじめられ、いたぶられ、体当たりリアクション芸の先駆者なのだ。