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松田聖子と中森明菜に楽曲提供がない

──まあ、ある種の政治家や批評家にも散見される、保守回帰の現象ですね。

近田 だけど京平さんは、すでに血肉化したものよりも、構造的に新しいものに対する興味の方が勝っていた。この点に関しては、本当に稀有な存在だよ。

──80年代の筒美京平を語る上で、松田聖子と中森明菜に楽曲を提供していないという事実は非常に重要だと考えられます。

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近田 松田聖子に関してはさ、CBS・ソニーの社内的な事情があったんじゃないかな。プロデューサーが別だったからさ。若松宗雄さん率いる彼女のプロジェクトは、郷ひろみを手がけていた酒井政利さんのチームへの対抗意識があった。だから、京平さんを敬して遠ざけたんじゃないかと。 

──京平さんの盟友である松本隆さんが松田聖子のプロデューサー的な位置に立っていながら、京平さんには作曲を依頼しなかったんですよね。 

近田 やっぱり、あそこで京平さんにオファーしちゃうと、一世代前、70年代のアイドルのドメスティックな匂いがついちゃうから、それを避けた部分はあるんだろうね。ただ、小田裕一郎が作曲したごく初期の楽曲には、京平さんに通ずるテイストが感じられる。だから、もしも聖子ちゃんが京平さんの曲を歌ったら、相性が合ったんじゃないかな。

──松田聖子のシングルは、チューリップの財津和夫を起用した4枚目の「チェリーブラ ッサム」(昭56)以降、ニューミュージックやロックのシンガーソングライターに作曲が委ねられることとなります。そして、松本さんにとってはっぴいえんどの僚友だった大瀧詠一や細野晴臣を起用した楽曲はヒットを記録している。そこには、はっぴいえんどが商業的な成功を収められなかったことに対するリベンジ的な意識を感じるんですよ。 

近田 中森明菜もそうだったよね。来生たかおや井上陽水、玉置浩二といったニューミュージック畑のアーティストに作曲を依頼することが多かった。 

──中森明菜は後に、『歌姫』(1994年~)というシリーズをはじめとするカバーアルバムを多数リリースするんですが、昭和の歌謡曲をたくさん取り上げていながら、なぜか京平さんの楽曲は桑名正博の「セクシャルバイオレットNo.1」だけ。筒美京平に対する思い入れはあまりなかったのかも。