パソコンの中の私の話に興味ある人にだけ適当なことを書く
岸田 たぶん、彩織さんがピアノを弾いて自分の感情を表に出しているのと、同じ感覚なんだと思いますよ。私は7歳のとき父にiMacを買ってもらったんです。友だちがいなかった私に父は、「お前の友だちはこの箱の向こうにいるから落ち込むな」と言ってくれて。以来、パソコンの中の私の話に興味ある人にだけ適当なことを書くっていうのが、私の日常になりました。周りの人に話すよりも、ひとりネットに書き込んでいるほうが深く呼吸できる感じです、昔も今も。だから逆に、チャット的な文章の書き方しか知らなくて恥ずかしいですけどね。
彩織さんこそ、ここ数年は出産や子育てでたいへんな日々ではないですか? 妊娠中なんて気分が上がったり下がったりするのを自分じゃコントロールできない部分もあるでしょうに、そんなときも作詞作曲や執筆は続けていたんですか?
藤崎 私はちょうど妊娠しているときに小説『ふたご』を出すことになって、あの作品の3~4割は妊娠中に書きましたね。当時はとにかく腰が痛くって、座っているとつらいからスタンディング・デスクを作って立ったままキーボードを叩き続けてました。
石橋を叩いて叩いて渡るくらい心配性
岸田 そうまでしてものを書かないといけなかった……?
藤崎 書くという作業があるのは、かえってよかったんです。私はその辺の石を拾ってきても、これ爆発するんじゃないかな? と心配するようなタイプ。仕事がなかったら「子ども無事に産めるのかな、どうなっちゃうんだろう自分……」と、心配し過ぎてどうにかなってしまっていたと思う。
岸田 石橋を叩いて叩いて渡るくらい心配性なんや……。たしかに今回の『ねじねじ録』の文章にも、そういうところって滲み出ていますよね。全編にわたって彩織さん、いろいろと考え過ぎたりして、ひとりで傷つきまくってるじゃないですか。私はそこが素敵だと思うんです。今の世の中って、傷つかずに強くあることのほうが美徳とされやすいでしょう? 傷つきやすいなんていうのは弱さの証明みたいで、なかなか評価されない。でも実際は、人って生きていれば傷つくのが当たり前。大事なのはそこからどう自分を治癒するかだし、その治癒のしかたこそ知りたいはず。