――国民には緊急事態宣言を出して強い制約を課す一方でオリンピックは強行し、感染者が急増してもなんの説明責任も果たさず、医療的支援が満足に受けられない人々が大量に出ました。まるで国からDVを受けているような状況でした。
内田 政治家自身もまたふだん以上に攻撃的な言葉にさらされていると思います。どの政治家もそれぞれに関心の高い分野があります。外交なり安全保障なり財政なり教育なり、専門とする分野があり、そこで自分の能力を発揮するはずだった。ところがコロナ禍においては「感染症対策をどうする?」というシングル・イシューに政治的課題が絞られてしまった。すべての政治家、官僚たちが感染症対策の出来不出来という一点でその能力差を査定され、格付けされるということが起きたわけです。こんなことは、ふつうは起こりません。財政や安全保障や教育なら、どんな政策をとってもその成否がわかるまでにはかなりのタイムラグがあるし、解釈の違いだとか、誤差の範囲だとかいって、失政を糊塗することだってやろうと思えばできる。でも、コロナではその手が使えなかった。感染者数と死者数はリアルな数字ですから。政治家たちもこの1年半、メディアと国民からの査定的なまなざしにさらされ続けた。
警戒すべきは単一の仮想敵を攻撃する陰謀論
こうした状況下で一番警戒すべきは、敵を見つけて一点集中する言説――「この人、この連中さえいなければすべての問題が解決する」といったタイプの陰謀論です。
――パチンコ店、ライブハウス、飲食店、路上飲みの若者たち、医師会……この1年半を振り返ってもやり玉に挙がるターゲットが次々と入れ替わっていきましたね。
内田 まさにそうで、「あいつが敵だ、諸悪の根源だ」と誰か言い出すと、何万人もの人が一斉に同調する。歴史を見れば分かる通り、こういう危機的な状況下では人々はすぐに陰謀論に飛びついて、単一の「敵」を探そうとするんです。
本書の中で、フランス革命後、権力や財産を失った貴族や僧侶たちがフランス革命の「張本人」を探し出そうとして、「ユダヤ人の秘密結社」という陰謀論を作り出していったプロセスを論じましたが、同じことはそれから後も繰り返し、どこでも起きています。
今の感染症による混乱は、革命や戦争の混乱に比べたらスケールは小さいですが、それでも「話を簡単にして、張本人を探し出して、そこに憎悪を集中させる」というタイプの議論は簡単に生まれてきます。十分な警戒心を持つ必要があります。
――こうした切迫した状況で一番大切なことはなんでしょうか。
内田 コロナについて話している人たちの言葉を聴いていると、多くの人がしだいに興奮して、怒声に変わってくるんですね。でも、ことは国民の生命と健康にかかわる医学上の問題です。できるだけクールダウンして、非情緒的な言葉で語るようにしないと、「これだけは確かだ」という客観的事実を共有して、その上で対策を講じるというふつうの手順さえ踏めなくなる。
コロナウイルスはこの後も変異株が連続的に生まれると予測されています。ということは、この先も長期的にこうしたストレスフルな状況が続くということです。だとしたら、感染症が蔓延している状態を「平時」ととらえて、冷静に淡々と対処するしかありません。興奮しっぱなしでは、適切な疫学的対処ができませんから。
感染症そのものはこちらがクールダウンしただけで収まるというものではありませんが、それでも、感染症から派生するさまざまな社会問題、とりわけ国民同士の対立確執は抑制できる。
内田樹(うちだ・たつる)
1950年東京生まれ。思想家、武道家、神戸女学院大学名誉教授、凱風館館長。東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。専門はフランス現代思想、武道論、教育論など。『私家版・ユダヤ文化論』で小林秀雄賞、『日本辺境論』で新書大賞を受賞。他の著書に、『ためらいの倫理学』『レヴィナスと愛の現象学』『サル化する世界』『日本習合論』『コモンの再生』、編著に『人口減少社会の未来学』などがある。