この物語が秤に乗せるものの片方は、言うまでもなくいまだ傷跡に苦しむ被災地、東北の物語である。そして秤のもう片方に乗せているのは、朝の連続テレビ小説が昭和の時代からテーマにしてきた「上京」、東京の物語だ。
朝の連続テレビ小説と「日本の近代化=女性の社会進出」は切っても切れない関係にある。昭和朝ドラの代名詞『おしん』は小林綾子が演じた少女時代の農村の苦難のイメージが強いが、物語の終盤は乙羽信子が中年から老年期を演じ、スーパーマーケットチェーンの経営者として東京を含めた全国規模の成功を収める。
他の作品も東京や大阪などのディテールの違いはあれ、ヒロインが仕事、勉学、あるいは事業の手伝いを通じて自己実現していく構造がある。明治以降に生まれた日本女性の一代記、半生記を描けば、自然と近代化と女性の社会進出について語らざるをえないのだ。
朝ドラはいわば、日本女性にとってのアメリカンドリームのように様々な近代化と社会進出の成功モデルを描いてきた。
『おかえりモネ』も半分、「宮城県気仙沼に生まれた少女が将来の夢を見つけ、気象予報士試験に合格して東京のテレビ局で活躍する」という社会進出、「東京の物語」を踏襲する。だが「おかえり」というタイトルが暗示するように、脚本は「東北の物語」というもう一つのテーマを秤の片方に乗せている。
SNSでは、百音・菅波の“東京組”が支持されていたが…
制作統括の1人、須崎岳は朝日新聞の取材に「『おかえりモネ』は震災の物語ではありません。東北の物語です」と、作品のテーマが震災という災害だけではなく、日本の中で東北という地方が置かれている構造自体をテーマにしていることを語る。
清原果耶が演じる百音と蒔田彩珠の演じる未知の姉妹、そして永瀬廉が演じる被災地の青年・亮と坂口健太郎が演じる青年医師・菅波は、明らかに「東京と東北」の分断と相反を描くように対照的な人物造形をされている。
都市圏に利用者の多いSNSの共感は明らかに百音と菅波のスガモネ、「東京組」に傾いていた。リベラルで優しい菅波先生に共感を寄せる「俺たちの菅波」というハッシュタグがSNSでは回り、菅波人気を分析するWEB記事がいくつも書かれた。
だが安達奈緒子の脚本は、菅波を単に「価値観のアップデートされた理想的な男性像、目指すべきロールモデル」として描いてはいない。それはリベラルで洗練されているからこそ、百音を東北で暮らす幼馴染たちから奪い去っていく、「東京」の構造的象徴として亮の反対側の秤に対置されている。