「『私と総理の2人で決めました』なんて、おかしいだろ」。安倍政権の時代、政調会長の岸田文雄がコロナ対策の給付金の額を30万円にすると発表(後に頓挫)する。それについて後日、官房長官の菅義偉はパンケーキを食べながら、こう言い放ったという。

安倍のツンデレに菅が翻弄される

 柳沢高志『孤独の宰相 菅義偉とは何者だったのか』(文藝春秋)にある逸話だ。「俺と総理の関係が大切なんだ」といってきた菅には、岸田の振る舞いは腹に据えかねるものであった。同時にこの激昂の裏には、岸田に対する男の嫉妬――ポスト安倍をめぐる政敵への、あるいは自己アピールできる者への嫉妬があるのが見えてこようか。

 著者は、菅と定期的にパンケーキ会食をし、携帯電話で連絡を取り合い、ときには選挙での応援演説の原稿の下読みを頼まれる間柄の元番記者である。記者として政治家に近すぎると思うかもしれないが、そうであるがゆえに、あまり感情を表に出さない菅の心情やその移ろいを知る人物なのだ。

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 安倍は「後継者は岸田」と言ったかと思えば、「いややっぱり岸田じゃダメだ、菅だ」と心変わりする。そうしたツンデレぶりに菅は翻弄されながら、岸田への対抗意識から総理総裁を目指すようになる。柳沢はその過程をつぶさに知るのである。 

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「自分を殺してやらないといけないんだよ」

 本書は、岸田嫌いが高じて自ら総裁選に立つ道のりから、衆院解散も総裁選出馬も叶わずに辞任するよりほかなくなり、わずか1年で総理・総裁を降りることになるまでを詳らかにするものだ。

 官房長官時代の菅は、安倍と一体に見られた。目立つことを嫌う性分であるうえ、携帯電話料金の値下げくらいしか独自性を持ち合わせていなかったこともあろう。師と仰ぐ梶山静六は、橋本内閣の官房長官時代、月刊「文藝春秋」や「週刊文春」に頻繁に政策提言などを寄稿して実力者として振る舞ったが、菅は黒衣に徹したとも言えようか。

「官房長官というのは、自分を殺してやらないといけないんだよ」。ポスト安倍をめぐる総裁選の最中、総理になった暁には、官房長官に河野太郎はどうかと柳沢に問われて、菅はこう述べている。目立ちたがり屋の河野に対する秀逸な人物評であると同時に、最長政権を“総理の影”として支えてきたことへの誇りがのぞく。

 そんなふうに自分を殺して安倍政権を支え続けているのに、安倍は岸田を後継にしようとする。それが菅には我慢ならなかった。