――世間体を気にする雰囲気は少しずつ和らいでいると思うのですが、逆に人間関係が希薄になり、未成年による殺人事件や、電車の中で無差別に人を刺傷するような事件も起きています。加藤先生は社会の変化をどんな風に見ていらっしゃいますか?
加藤 社会の共通感覚が壊れかかっているからでしょう。2000年代前半に、女子高生が身に付けた下着を売って100万単位のお金を得る「生セラ」が流行りました。僕は当時東京都の青少年問題協議会の責任者をやっていて、「生セラ」を取り締まる条例を作ることになりました。ところが、人の下着を盗んだわけじゃないし、押し売りしたわけでもない。「なぜ悪いかを説明できない事を条例で禁止するのはいかがなものか」という反対意見が出ました。
――2004年に、青少年からの着用済み下着や唾液の購入の禁止を明記した東京都青少年健全育成条例が制定されています。
加藤 「生セラ」も女子高生に「自分の物を売ってなぜダメなんですか」と聞かれた警察官が、説明できないと言うんです。でも、なぜ悪いかなんてことを説明する必要はないんですよ。ダメなことは当たり前にダメなんです。ところが今、その当たり前のことが崩れて、説明しろという人が増えている。説明不能なことは、説明不要です。
――「当たり前」の中に大事なことがある、と。
加藤 条例を作っている時に延々と議論がいきづまって、僕はトイレに立ちました。そのトイレには女性用と男性用って書いていなかったけれど、僕はブルーの方を選びました。なんでブルーが男性でピンクが女性なのか。これは理由がありません。ただ、この共通感覚があるから社会は成り立ってるわけです。その共通感覚が崩壊しだしたのは、大変恐ろしいことです。「どうして人を殺してはいけないのか?」という質問も同じです。
まともな人間はそういう質問をしません
――加藤先生が「なんで人を殺しちゃいけないのか」と聞かれたら、どのように答えますか。
加藤 そういう質問をする自分のことを考えてみなさい、で十分でしょう。質問すること自体がおかしくて、まともな人間はそういう質問をしません。説明不能なことについて、説明を求めること自体がすでにおかしいんですよ。
――現代の若者に伝えたい言葉を教えてください。
加藤 私は「テレフォン人生相談」で、「悩みは昨日の出来事ではない」とよく話しています。今の自分が悩んでいることは、ずっと前に種を蒔いたことの結果です。だから、今やっていることは何年後かに必ず結果として出る。今きちんとした生き方をすれば必ずその結果は返ってきます。
――人間にとって、人生相談ってどういうものなのでしょう。
加藤 こちらが真剣に相談に乗っていることが相手に伝われば、相手も自分が変化することを決意して道を開くきっかけになると信じています。だから相手が私ではなくても、誰かに相談する時は「この人は真剣に自分と向き合ってくれているかな」というところを見てほしいですね。