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コロナ前に「教会は野戦病院であれ」「汚れた教会のほうが好きです」と…危機を予見していた教皇フランシスコが考える、教会のあり方

『危機の神学 「無関心というパンデミック」を超えて』より#2

source : 文春新書

genre : ライフ, 読書, 社会, 国際, ライフスタイル

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「環境危機」も「社会危機」も統合したアプローチを

山本 教皇になると「回勅」と呼ばれる公式文書を世界中の信徒や「善意の人々」に対して発することになるわけですが、教皇フランシスコの最初の回勅は『信仰の光』という、前の教皇のベネディクト16世が準備していたものに教皇フランシスコが手を加えたものでした。本当の意味で教皇フランシスコの初めてのオリジナルな回勅は『ラウダート・シ』です。「ラウダート・シ」というのは、中世を代表する聖人であるアッシジの聖フランシスコが作った「太陽の歌」という讃歌の一節で、「あなたは讃えられますように」を意味するイタリア語です。この『ラウダート・シ』は、よく環境問題についての回勅だと言われていて、それは間違いではないのですが、普通言われるような意味での環境問題について語られていると理解すると、一面的な捉え方になってしまうことが次の文章からよくわかります。

 わたしたちは、環境危機と社会危機という別個の二つの危機にではなく、むしろ、社会的でも環境的でもある一つの複雑な危機に直面しているのです。解決への戦略は、貧困との闘いと排除されている人々の尊厳の回復、そして同時に自然保護を、一つに統合したアプローチを必要としています。(『ラウダート・シ』瀬本正之・吉川まみ訳、カトリック中央協議会)

 ここで語られるのは、環境の危機と社会の危機が結びついた多面的な危機ですね。環境危機は特に貧しい人に多くのしわ寄せがいくという意味で社会危機でもある。その環境危機と社会危機が一体化した新たな危機に立ち向かおうというのがこの回勅の趣旨なのです。

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 まさに世界を覆う危機との対決が語られるわけですが、今読んだ箇所は次のように続きます。

 一つ一つの有機体は、神の被造物として、それ自体において善なるもの、感嘆すべきものであり、一定の空間に存在し一つのシステムとして機能している調和の取れた有機体の集合も、また同様です。しばしば気づかないことですが、わたしたち自身の存在はそうしたより大きなシステムに依存しているのです。二酸化炭素の吸収、水の浄化、疾病や流行性感染症の制御、土壌の形成、廃棄物の分解において、また、わたしたちが見過ごしたり、あるいは、単純に知らずにいたりする他の多くのしかたで、生態系どうしがどのように作用し合っているかを思い起こせばいいのです。(同前、140)