1992年作品(113分)
フジテレビ、京都映画
14800円(税抜)
VHSのみ(レンタルあり)

 五社英雄監督は一九八九年三月にガンを患うものの、一九九一年には映画『陽炎』で復活する。だが、病魔には抗うことはできず、一九九二年の八月三十日に他界している。

 今回取り上げる『女殺油地獄』は、五社が病と闘いながら撮り上げた、遺作である。

 舞台は元禄期の大坂。油屋の女房・お吉(樋口可南子)はかつて、同業店の跡取り息子・与兵衛(堤真一)の乳母をしており、成長後は放蕩三昧の暮らしを送る与兵衛を母親のように心配しながら面倒をみていた。だが、与兵衛の若く逞しい肉体を見ているうちに、段々と「男」として意識するようになっていく。

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 表面的には大人としての落ちつきを見せようと、感情を取り繕って作り笑いを浮かべ続けるお吉。だが、たとえば黙々と米を研ぐ際のほつれた髪や汗ばむ首筋など、日常におけるディテール描写の積み重ねが、お吉の中に燻(くすぶ)り始めた「女」としての抑えきれない火照りを伝えてくる。これまでエロスも暴力もひたすら荒々しく描いてきた五社が、遺作となって初めて、繊細なタッチの中に性の情念を浮かび上がらせていったのだ。

 やがて物語はお吉と与兵衛による、不倫の愛憎劇へと突入するのだが、その描写もまた、繊細な描写の中に官能の炎を映し出していた。

 与兵衛は若い魔性の女・小菊(藤谷美和子)に惚れきっていて、その様にお吉は嫉妬する。そして与兵衛は小菊の掌で転がされ続けた挙句、駆け落ちや無理心中の騒動まで起こしてしまう。これ以上、与兵衛を惑わさないでほしい――そう小菊に懇願するお吉を、小菊は嘲笑う。小菊は、若い二人の関係に嫉妬するお吉の心情を既に読みとっていたのだ。

 この時、カメラは初めてお吉の顔をアップで捕える。その表情からは作り笑いは消えており、何かを決意した「女の顔」が浮かんでいた。この小娘から、与兵衛を奪う――。

 お吉は舟宿に与兵衛を招き、誘惑する。「小菊みたいな女にアンタを好きにされるの嫌や……抱いて」。そう言って着物を脱ぐお吉。最初は「おばはん」と拒みながらも、その手練手管の前に屈して、抱きつく与兵衛。「かんにんしてな……こんなにしてもうて」そんなお吉の言葉とは裏腹に、男と女は激しく絡み合った。

 圧巻は、情事を終え、帰宅したお吉の描写だ。お吉は土間で水を飲むのだが、この時、はだけた裾から覗く足先やウナジのラインは実に艶めかしく、彼女が再び「女」に目覚めた様を見事に表現していた。

 五社が最後になってたどりついた、繊細なる官能の世界。拙著『鬼才 五社英雄の生涯』に記したその壮絶な舞台裏と共に、ご堪能いただきたい。