今年の四月のこと。沖縄国際映画祭というイベントの控え室で、南野陽子にご挨拶させていただく機会があった。
この連載でも何度か述べてきたが、子供の頃の筆者にとって南野は憧れのアイドルだった。映画『スケバン刑事』や大河ドラマ『武田信玄』などでの、可憐さと凛々しさ、強さと儚さが同居するその姿に魅了され、後々に至る理想の女性像の雛型になっている。
かれこれ多くの役者や映画関係者に取材させていただくようになったので、有名人相手でも、大抵の場合は緊張しなくなっている。だが、子供の頃からの憧れとなると話は別だ。ついミーハーな気分が起こり、「うわ、南野陽子だ!」と硬くなってしまった。しかも筆者の前に現れた彼女は、三十年前から時が止まっているのではとすら思わせる、あの頃の「憧れの女性」そのままに麗しい姿だったのだ。しばらく話しかけるのも忘れて、つい見とれてしまった。
それ以来、筆者の中で南野陽子の再ブームが起きている。今回取り上げる『はいからさんが通る』もまた、彼女の魅力が凝縮された主演作だ。
舞台は大正七年の東京。女学校を出たばかりのヒロインの紅緒(南野)は、袴姿で自転車を乗り回す、当時流行の「はいから娘」。料理も裁縫もからっきしだが、竹刀は見事に使いこなす。そんな「男勝り」な紅緒の前に親の決めた許嫁・伊集院忍(阿部寛)が現れた。紅緒は反発するものの伊集院家で行儀見習いをさせられることになってしまう――そんな物語設定である。
そして本作は、袴姿をはじめ、大正時代の流行ファッションでシーンごとに着せ替えていきながら、南野の様々な姿を全編に亘って堪能できる。
前半は、とにかく暴れ放題。黒い髪をなびかせながら自転車で颯爽と駆け抜ける冒頭に始まり、袴のまま屋敷の外壁をよじ登り、ドレス姿で酔っ払ってパーティ会場で犬ぞりを駆り、物干し竿を長槍代わりに襲いかかる伊集院家の当主(丹波哲郎)を竹刀で迎撃し、軍人とも酒場で喧嘩する。
こうしたじゃじゃ馬ぶりも素敵なのだが、真の本領発揮の場面は中盤にある。戦地での忍の訃報を知った紅緒は長い髪を切る。この時の鏡に映る、想いを断ち切ったかのような真っすぐで澄んだ強い南野の眼差し。そしてショートヘアの白い喪服姿で葬儀の場に現れた時の凛としたたたずまいの美しさ――。それまでの無邪気さから一転したキリッとした姿に、思わず心を鷲掴みにされてしまった。
あらゆる角度から南野陽子の魅力を余すことなく映し出すためだけに作られたとしか思えないほどの、純度百%のアイドル映画である。