『大獄 西郷青嵐賦』(葉室麟 著)

 二十一世紀の現在でも、西郷隆盛は理想のリーダー像である。私自身、西郷にとても敬愛の念を持っている。彼の言葉が、私の人生の指針、倫理観のひとつとなっているからだ。企業のトップとして、中国大使として、次の言葉をことあるごとに拳拳服膺(けんけんふくよう)してきた。

「命ちもいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕抹に困るもの也。此の仕抹に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」(西郷隆盛『南洲翁遺訓』)

 なぜ西郷はこのような言葉を遺したのか。

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 葉室麟さんの『大獄』は、西郷隆盛の思想的背景や実像に迫っていく。薩摩弁を交えながら、当時の状況をわかりやすく読者に伝えてくれる。

 中学や高校の歴史教科書レベルの知識では、西郷隆盛と聞いて思い浮かべるのは、征韓論や西南戦争、あるいは上野の銅像、巨漢の男ということくらいかもしれない。

 本書を読めば、バラバラだった西郷のイメージがつながり、歴史上の穴が埋まると思う。会社の就職試験で「知力か体力か」と言われることがあるけれども、西郷は一見体力採用のようでいて、実は知力だ。それが彼の生涯を決めた。

 西郷は小さいときに喧嘩で腕を怪我したという。刀を持てなくなったため、武士としては大成できないと考えた西郷は、相撲の稽古や学問に励んだ。『孫子』や『韓非子』を読み、朱子学の入門書『近思録』の勉強会を仲間とともに行った。その後、薩摩藩主の島津斉彬に見出され、グローバリズムという国難を乗り越えるために、自らの命を懸けながら、東奔西走していくことになる。

 本書を読み進めると、西郷の思想は、いまでいう「保守リベラル」であることがわかる。師の島津斉彬の志を受け継いでいるのだ。作中で、斉彬は、西郷にこう語っている。

「何をなすにしても究極で和することを目指さねばならぬ。ひとには戦おうとする心があるゆえ、やむなく戦うのは相手の戦う心を制するためだ。いたずらに相手を打ち負かせばよいというものではない」

 これは、いまの政財界人にこそ、耳を傾けていただきたいセリフだ。

 あまりに高い理想を持っていた西郷は、明治時代初期になると、朱子学の本道に突き動かされ、反政府とならざるを得なかった。

 本書は、その直前、西郷が奄美大島から鹿児島へ戻るところで終わっている。ぜひ葉室さんに、この続きを書いてもらいたい。きっと、これまでにない西郷像が浮かびあがるはずである。

はむろりん/1951年北九州市生まれ。西南学院大学卒業後、地方紙記者等を経て、2005年『乾山晩愁』で歴史文学賞を受賞し作家デビュー。2007年『銀漢の賦』で松本清張賞。2012年『蜩ノ記』で直木賞、2016年『鬼神の如く 黒田叛臣伝』で司馬遼太郎賞。

にわういちろう/1939年生まれ。伊藤忠商事会長・社長、日本郵政取締役等を歴任。著書に『死ぬほど読書』、『人は仕事で磨かれる』等。

大獄 西郷青嵐賦

葉室 麟(著)

文藝春秋
2017年11月17日 発売

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