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「大阪の繁華街といえばキタではなく今里だと言われた時代もあった」

「私の実家は、隣町なんですけど、よくケンカをしに来たんですよ。中学生の頃ですね。このあたりは、猪飼野も近くて、韓国の血が入ったのも多かったから、みんな喧嘩が強かったんです。根性が違うから、いつもやられてばっかでしたね。お茶屋さんも多くて、とても賑やかなところだったんですよ。働いている女性も大げさかもしれませんが、2000人以上はいたような雰囲気だったんです。

 大阪の空襲でこの辺が焼けて、減ったそうですが、それでも多かったんです。ここから芸者さんを、京都の祇園に送ったり、北新地にも貸し出したそうですよ。海外でも大阪の繁華街といえばキタではなく今里だと言われた時代もあったと聞いています。その頃の活気までとは言いませんが、少しでも賑やかな時代に近づけたいと思っているんです」

今里の芸者が小唄の練習に使った本  ©️八木澤高明

 にわかにそんな時代があったのかと、今の状況からは信じがたい話だった。松山さんの表情は真剣で、何としても今里を再興しようという思いが伝わってきた。

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若い女性が今里に増えた理由は…?

「最近では働いている女性も若い方が増えたと言ってましたが、それはどうしてですか?」

「ひと昔前は、ややこしいこともあったんですよ。言ってみれば反社的な動きですよね。そういうのを一掃して、若い人たちが街を盛り上げようという思いがあるんですよ。それで若い女の子たちも気持ちよく働ける環境を整えたいと思っているんです。昔は、誰でも働きにおいでみたいな感じで、年がいった女性が多かったんです。今里行ったらババァしかおらんという噂も立っていました。

 それを変えていこうと思って、若くて可愛らしい子に来てもらっているんです。平均年齢は30歳いってないちゃいますか。ただね、暗黙の了解でやらせてもらっているところもあるんで、目立ってもいけないですけどね」

 ©️八木澤高明

「そうなると、盛り上げるのも大変ですよね」

「そうなんですよ。飛田とかと違って、ここは住宅街の中やから、わかりづらい場所でしょう。それに大々的に宣伝するわけにもいかないですからね。たまたまユーチューブに出たりとかね。それがブレイクして、それを見たってお客さんが来てくれたりしたんですよ。そうすると、お客さんいるんやって、女の子も働きに来てくれるようになったんです。

 昔の関係者なら、黙っといてくれと、ユーチューブとかは絶対アカンかったと思うんですけどね。ただ、あくまでも、こちらからお願いしてやってもらっているわけではないですからね」