1ページ目から読む
3/5ページ目

なぜハゼか

 父の昭和天皇は生物学のなかでもヒドロゾアを専門にしたが、なぜ明仁は魚類のなかでもハゼを専門にしたのだろうか。

厚真町被災地御見舞での天皇皇后両陛下(当時) ©️JMPA

ADVERTISEMENT

 1984年(昭和59)12月20日、東宮御所檜の間で、51歳の誕生日を前にした記者会見で当時皇太子であった明仁は、記者の質問にいくつか答えている。専門家的な説明だが、わかりやすく、さりげなく語っており、ハゼの研究概要も知れるので、長いが引用する。

記者    先日『日本産魚類大図鑑』の出版パーティがありましたが、ハゼを研究されるようになった理由を改めてお聞かせ下さい。

 

皇太子 私が初めて書いた論文は「ハゼ科魚類の肩甲骨」という論文です。それまではハゼの骨というものはあまり研究されていなかったのですが、1911年に英国のリーガンという人がハゼの骨を研究して、肩甲骨のあるのがカワアナゴ科、ないのがハゼ科と区別したわけです。

 

 その後、アメリカのゴスラインという人が、ゴスラインの論文は1955年ぐらいだったと思いますが、その頃になると骨を染めることができるようになり、非常にわかりやすくなったし、正確にわかるようになったので、ハゼ数種調べたところ、肩甲骨のあるなしではっきりとは分かれない、カワアナゴ科とハゼ科は、はっきり区別しにくいということを論文に書いたのです。

 

 この論文を、当時ハゼ亜目魚類を研究しておられた今の東京水産大学の高木[和徳]教授から見せられて、それではもっといろいろな種類のハゼを調べてみたら何か出てくるのではないかと思って調べてみたわけです。

 

 そうしますと、種の上に属という分類の段階があるんですが、その属の段階では、同じ属の中では(肩甲骨が)あり、別の属ではないということがはっきりわかることが見つかったので、それからゴスラインの論文にありました、他のいろいろな骨の特徴も調べてみた。それでハゼのグループが四つに分かれることを、その後の論文に書いたこともあるわけで、今この四つはあまり適当ではないというのがわかりましたけれども、当時はそれでよいと思ったわけで、種類を査定することが必要になるのですが、それが十分にできていないので、しなくてはいけないということで、分類の方も進めるようになっていったわけです。