公務の合間のご研究でハゼの新種を10種も発見
御所から5分位のところには、昭和時代からの生物学研究所がある。昔の学校のような、古い、一部2階建ての木造家屋である。ここは陛下の研究を補佐する3名の専門官の根拠地であり、ハゼの入った大きな水槽や、ハゼの標本、関係する資料などが置かれている。陛下は、研究者や専門官との打ち合わせなどのために、時々そこを使っておられる。
当然、明仁は天皇としての公務が最優先なので、研究時間は限られているし、細切れになってしまうが、それでも渡邉は侍従長として「聞いて頂かなければならない事柄」が発生するという。渡邉は研究室で話を済まそうとすると、明仁は、いつも、必ず、一旦研究を中断し、研究室の電気も消して、2階の書斎に戻り、きちんと話を聞いた上で、あらためて研究室に向かうという。
そもそも明仁が生きた魚を観察する生態学ではなく、主に標本を使って研究する形態学を選んだのも、研究にあてる時間を研究者が決めることができ、公務の時間を侵すことなく、その合間に従事できるというのが、大きな理由だった。
明仁の最初の論文は、1963年の「ハゼ科魚類の肩胛骨について」であり、当時は骨の形による分類が主流であったが、外国の学者の間で、ハゼの肩胛骨の有無が分類の基準になるか否かの議論があり、それならば自分で肩胛骨を調べてみようと考えたことによる。骨をアリザリンという染料で染めると赤く浮き出して見えるようになるので、それを調べたのである。
以後も、いくつかの研究を重ね、学者として大きな貢献をしたのが1967年の「日本産ハゼ科魚類カワアナゴ属の4種について」という論文だった。ハゼの分類の基準として頭部孔器に着目し、これが縦、横に並んでいるパターンが、ハゼの種類で異なり、種を区別するための基準となることを示したのである。頭部孔器とは、ハゼの頭部にある感覚器官であり、水の振動を感知するものである。その頭部孔器のなかにある小さな突起が体の外側に現れて、列をなして並んでいるのである。
この論文は、ハゼの分類学の歴史上、一つの画期となった。明仁自身、のちに「振り返ってみると来る日も来る日も顕微鏡をのぞきながら、ひとつひとつの種類の孔器の配列の特徴を明らかにすることが出来た喜びが思い起こされます」、「現在、孔器の配列はハゼ亜目魚類の分類の重要な要素になっており、この分野で何がしかの貢献が出来たことをうれしく思います」と語っている。
こうして、明仁が発表した日本産の新種のハゼは6種、それまで1種とみられていたあるハゼが実は2種に分かれること、外国産の新種も2種、発見した。また和名のなかったハゼに、アケボノハゼやギンガハゼなどの和名をつけた。これは明仁の依頼で美智子皇后が考えたものという。上皇になってからも2種の新種を発見し、2022年1月までに発見した新種は10種となった。
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