突如として襲った自律神経の病…「死の恐怖さえ感じるようになっていた」川﨑宗則を救ったイチローの“ある言葉”とは?

『「あきらめる」から前に進める。』より #2

川﨑 宗則 川﨑 宗則
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決して野球が嫌いになったわけじゃない

 そこからいつしか家を離れて近くの公園で遊ぶようになり、近所の子どもたちに「あれ、川﨑だろ?」と気づかれてしまい、息子だけじゃなく近所の子どもたちとも一緒に野球をして遊ぶようになっていました。

 そのうち子どもたちから「今度僕たちの試合を観に来てよ」と誘われて、最初のうちは「試合はいいよ、疲れるから」と断っていたんだけど、何回か誘われているうちに息子が「観に行きたい!」と言うので、一緒にソフトボールの試合を観に行くようになり、徐々にまた野球に接する時間が増えていったような気がします。

 生きていくために野球をやめる決断をし、もうこれ以上野球をすることはないだろうと考えていたけど、決して野球が嫌いになったわけじゃないんです。心療内科の治療を続けながら、一度野球から離れ、しっかり頭を休ませることもできました。それが良かったのかもしれないのですが、リハビリを続けながら野球に対して抵抗感を抱くこともなかったですし、身構えることもなかったです。ごく自然にまた野球と接することができていたように思います。

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 しばらくの間は息子や近所の子どもたちと野球をしたり、家に帰れば娘と遊んだりしながら過ごしていましたね。子どもたちと遊んでいれば、自然と体を動かすようになりますから、徐々に体力も戻っていきますし、それにつれ体調も良くなっていったように思います。心療内科の治療も続けていましたし、以前のように体の痛みを感じることもなく、自然と動けるようになっていました。しっかり頭と体を休められ、リセットできたのが良かったんでしょうね。

 また本格的に野球をやってみようと思わせてくれたのは、やっぱりイチローさんでした。イチローさんはオフになると、ほっともっとフィールド神戸で自主トレをしていたんですが、マネージャーさんが「来てみる?」と声をかけてくれたんです。その頃はまだ電車にも乗れない状態だったので悩みましたが、とにかくイチローさんに会いたいという気持ちが強くて、思い切って新幹線に飛び乗りました。無事に神戸に到着でき、「あっ、行けたわ!」って感じでした。

 自主トレに参加させてもらう前から、ちょっとずつはトレーニングみたいなことができるようにはなっていたけど、まだ本格的なトレーニングをするのはちょっとキツい感じでした。まだ体は痩せていたし、自主トレに参加するというより、イチローさんに会いに行ったというのが正直なところです。

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マリナーズ時代の川﨑とイチロー ©文藝春秋

 球場に行ってイチローさんの姿を見つけ、すぐさま挨拶に行ったんですけど、「よく来てくれたな。ありがとう!」的な言葉をかけてくれたように記憶しています。ただそれ以上に、彼の表情を見ただけでホッとして、僕はワンワン泣いていました。イチローさんは厳しい表情をする時もあるんですが、その時の笑顔は本当に優しくて、僕を包み込んでくれているように感じられたし、すごく気持ち良かったのを覚えています。とにかくイチローさんの笑顔が仏様のように見えましたね。感情が一気に込み上げてしまいました。

 ただあれだけ野球を愛しているイチローさんの前で「野球をやめました」なんて言えなかったし、言いたくもなかったんです。でもそんな思いを突き抜けて、野球選手ではなく、川﨑宗則というひとりの人間として会いに行けたことがすごく良かったです。イチローさんは、まだ普通にトレーニングできそうにない僕を、快く「一緒に練習しようよ」と受け入れてくれたんです。それもすごくうれしかったですね。僕も「やりましょう! 守ります!」っていう感じで、気持ち良く一緒に練習させてもらいました。

 練習中もずっとイチローさんに感動させられっぱなしでした。一緒にキャッチボールをすれば、「相変わらずイチローの球は痛えな」と思っていましたし、バッティングを見ていても「やっぱりこの人はすげえや」と唸っていました。