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 その影響力はすさまじく、「集落に隠された因習と謎についての恐怖譚」というストーリーラインは(先行作品に「くねくね」があるとはいえ)2000年代ネット怪談の方向性を決定づけた。「巨頭オ」「ヤマノケ」「八尺様」の他、数多くのヒット作が「コトリバコ」を後追いする系譜に位置づけられるだろう。

「コトリバコ」は事実?創作?

 間違いなく現代怪談史に特筆すべき作品ではあるが、本稿では一連の「コトリバコ」投稿が「創作」であるとの前提で進めていく。少なくとも過去パート(=明治元年から13年におよぶコトリバコの由来)については事実ではなく、投稿者による、もしくは文中に登場する情報提供者による創作だと捉える。

 あまりにも大きなスケールの事態が展開しており――明治時代に56人以上もの子供を人知れず殺害するなど――(怪異部分ではない)状況説明部分があまりに非現実的だからだ。

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 コトリバコが隠岐から伝わったという明治元年は「産婆取締規則」が制定され、産婆による堕胎が禁じられた年だ。もちろんその法的効果は地方まで充分に及ばなかったものの、なんら制限がかからなかった訳でもない。

 そして島根エリア(というより西日本)では江戸時代から、間引きではなく堕胎処置の方がメインだった。間引き事例が皆無とは言えないものの、明治改元前後の出雲地方で「間引きもけっこう行われていた」という文中の説明にはひどく無理がある。(注1)

 まして、コトリバコのために殺していたのは出産直後の嬰児だけではなく「7歳まで」「10歳まで」の幼児・少年だったというのだが、これは間引きとはまったく異なる事態で、当時の常識からしても重大な殺人行為だ。これらの子を「口減らし」するなら奉公や養子に出せばよく、実際、そうしたことは江戸でも明治でも日本各地で一般的に行われていた。

 ……と、私はなにも「コトリバコ」における設定の不備を、細かく指摘したいのではない。また創作であることが、本作の価値を貶める理由になるとも考えていない。「コトリバコ」の中で描かれている「子殺し」状況が時代考証として誤っていても、その誤解こそが投稿者の描こうとした恐怖をいみじくも反映しており、本作が非常に高い人気を博した理由でもあることを解説したいのだ。

 このような「子殺し」への想像は、実はすこぶる現代的な怪談イメージであり、「コトリバコ」はそれを鮮烈に提示してくれている。そのイメージを仮託する先が、明治改元あたりの出雲地方(ちょうど小泉節子が生まれたタイミング)というのも、なかなか絶妙なセンスではないか。(編注:小泉節子は多くの怪談小説を書いた作家・小泉八雲の妻)