「コトリバコ」に恐怖を覚える理由
あくまでも伝説だが、クマントーンの儀式は本来、妊婦の腹を裂いて胎児を無理やり「外に取り出す」ものだったという。母子殺しを行うのは、彼らの父親である男性だ。そして父親の守護霊となったクマントーンは、主に戦争勝利の利益をもたらすが、その攻撃対象である敵も、もちろん男性たちとなる。
それに対し、子供を箱の「中に閉じ込める」コトリバコやコインロッカーベイビーは、ひたすら女性をクローズアップした儀式だ。
なにしろコトリバコの呪いは、男たちにはいっさい作用しない。死んだ子供たちの怨念が攻撃する対象は、「血反吐を吐いて苦しみぬいて死ぬ」のは、「子供と子供を生める女」だけである。「子供を生める女性」つまり未来の母親との設定も、最終的にはやはり「子供」をターゲットにしていると捉えてよいだろう。
よく考えてみれば、これは標的対象がおかしい。近世かそれ以前に編み出された呪術だとすれば、上層階級の争いの中で、敵の「家」を絶やすことを目的としていたはずだ。であれば攻撃目標は宗家の嫡男などに向くべきであり、周辺の子女ばかりを殺すという迂遠な方法をとる意味がわからない。
この点についても、単なる投稿者の設定ミスだと片づけてはならない。こうした時代考証の不備は、すなわち投稿者の創作的視点が、描こうとする恐怖の種類が、はっきりと現代日本人のそれに依拠していることの表れだからだ。
コトリバコの呪術で利益を得る男たちと対照的に、苦悶と死を引き受けるのは、ひたすら幼子と母親だけ。現代人である投稿者と私たち読者は、これを絶対的な理不尽だと感じる。
敵対関係にある男たちが呪術合戦で惨死しようと大した恐怖も興味もわかないが(昔の日本人ならもう少し興味を持っただろうが)、その被害者が「子供と母親」になったとたん、最大限の恐怖とおぞましさを覚える。
設定としては古びた因習や太古の呪術を扱っているように見せて、実はまったくもって現代的な恐怖を提示している。だからこそ、「コトリバコ」はネット怪談を代表する殿堂入りの名作となった。
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注1 恩賜財団母子愛育会(編)『日本産育習俗資料集成』(第一法規、1975)
