「家」を大事にする日本
中野 日本という国は家という装置をすごく大事にするという点は、確かにそう思います。
家でなければ、昔、国体という言葉がありましたけれども、共同体によって醸成される何らかの1つのプレートというか、そういうものをすごく個人よりも優先するという特徴がありますよね、日本って。これは多分ほかの国より大きいんだと思う。というのは、遺伝子プールとしてそういうことを大事にする人たちの国というのがある程度予測されるんですね。
三浦 遺伝子的に?
中野 そう。不安傾向が高い遺伝子というのを保持している人が大多数の国なんですよ。個人が意思を持って何かを決めるということよりも、「みんなの意思」というのをすごく大事にする。「みんなの意思」を作るためには、「みんな」というものを心理的な形で統制する必要があるんですよね。
三浦 ああ……。
中野 それは昔はもしかしたら、祭というのがその旗振りのための大事な機構だったかもしれないし、天皇家というのはその最高位に位置するところだったんでしょうね。
いみじくも祭と政は語源が一緒というふうに考えられますけど、合理主義によって行われる政治ではなくて、我々の家、政(まつりごと)を欲しているんでしょうね。そういう面から考えると、集団の最小単位というところの「家」というものを大事にするんだろうなというのは分かる気がしますよね。一方で、それを壊そうとする働きに対してバッシングをするとか、攻撃をしたくなるというのもそこらへんからなのかな。
三浦 社会全体の発想という点でいうと、結婚を尊べ、すなわち妻子を放り出すなというのは、「村」の社会保障で面倒を見るんじゃなくて、「家」単位の社会保障を機能させてほしいからだと思うんですね。人に迷惑をかけるな、という。その気持ちが強すぎて、公的な社会福祉が存在する現代でも、有名人が離婚すると、シングルマザーでやっていけるのか、などという余計なお世話に近いような記事が出回りますよね。