この状態で病院に行けば、たいていの医師は検査をしたり、薬を出したりするでしょう。現代においては、それが当然の医療だからです。逆にそれをしなければ、「あの病院は薬もくれない」と文句を言われてしまいます。
でも、本当にそれが正しい医療なのでしょうか?
ぜひもう1度、考えてみてほしいのです。
医師は病院に来た幸齢者に対し「もう年だから、放っておきましょう」とは言えません。であるならば、患者さんが選択するしかありません。
病院で検査をして病気を見つけてもらい、薬や手術をして寿命を延ばすのか、自宅や老人ホームで好きなことをしながら生きるのか――。
それは、医師ではなく、自分が選択することなのです。
幸齢者になれば、病気は全快しません。一時的に快方に向かっても、悪い部分は次々と現れます。厳しい言い方ですが、それが年を取るということなのです。
闘病ではなく「共病」で。闘うよりも手なずけて生きる
「闘病」という言葉があります。ガンの患者さんなどがよく使う言葉です。以前から不思議だったのですが、いったい何と「闘う」のでしょうか。
そもそもガンは、自分の細胞が変性して「ガン化」したものです。つまり自分が生み出したものであり、「ガンの野郎、俺はお前なんかに負けないぞ」と息巻いても消えてくれません。闘いようがないのです。
とくに幸齢者の場合はそうです。体の中にはガン細胞がたくさんいるからです。幸いに1つ倒せても、やがて次の敵が現れる確率は高いと言えます。
また「ガンと闘う」には手術や抗ガン剤が必要ですが、どちらも体は大きなダメージを負います。体力は低下して、普通の生活をしづらくなります。臓器を切除されたら、不調を抱えて生きることにもなるでしょう。
そうやって、体力や機能が奪われてしまうと、免疫力や抵抗力が落ちて、ほかの病気を引き起こしやすくなります。結果的に、ほかのガンの進行を早め、体のあちこちにガンの症状を出現させることにもなりかねません。
「闘病」という選択が、かえって自分を苦しめることになるのです。
私が80歳を迎えるような幸齢者にお勧めしたいのは、闘病ではなく「共病」という考え方です。病気と闘うのではなく、病気を受け入れ、共に生きることです。
ガン化した細胞を薬で攻撃したり、手術で取り除いたりするのではなく、それを「手なずけながら生きていく」という選択です。
「病気とわかっていながら闘わないのは敵前逃亡だ」などと思う人は、こう考えたらいかがでしょう。「逃げるが勝ち」と。
テレビでは、タレントさんの「闘病」を美談にして語りがちです。だから「自分も闘う」という気になるかもしれません。しかし幸齢者に必要なのは「勇ましさ」より「穏やかさ」。「ガンと闘ってくれる医師」ではなく「ガンで苦しまぬ方法を共に考えてくれる医師」だと思います。