昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2018/01/03

山口組との関係も歴史として記されている

 また、創業家に関する記述においても、「民主化」の痕跡が見て取れる。それは、正之助の負の部分についても触れられていることだ。さすがに「通史」の部分には書かれていないが、「特別寄稿」として西岡研介が「興行とアンダーグラウンド」という一文を寄せている。西岡は、吉本の「お家騒動」を取材した『襲撃 中田カウスの1000日戦争』を著したジャーナリストだ。著書によると、兵庫県警の内部資料の中には、正之助のことが「山口組準構成員」と記されているという。さすがに『百五年史』にそこまでの記述はないが、せいの時代から山口組との付き合いがあったことや、戦後も正之助と山口組三代目の関係が続いていたことが記されている。

『百五年史』には西岡研介「興行とアンダーグラウンド」が載せられている

 なお、「ヤクザ」と興行の関係については、吉本のことばかりが話題になるが、過去を振り返ると、松竹や東宝も何らかの関係があったことを指摘しなければフェアではない。ある時代まで、「ヤクザ」と興行が密接な関係にあったことは、歴史的な事実である。だが、昨今の「反社会的勢力」に関するコンプライアンス事情から考えると、社史にその関係を記すというのは、そうそうできることではない。もちろん、「民主化」したからこそ書けたという側面もあるが、過去と向き合う姿勢は素直に讃えるべきだろう。

『八十年の歩み』に何度も出てきて、『百五年史』に出てこない人物

 しかし、全体的にバランスの取れた記述になっている一方で、一つ気になることがある。『八十年の歩み』では何度も名前の出てくる人物が、『百五年史』の「通史」から消えているのである。その人物の名は、木村政雄。横山やすし・西川きよしのマネージャーを務め、1997年に常務に就任、次期社長候補と言われたこともある人物だ。一時期は「ミスター吉本」としてメディアにも頻繁に露出していたが、2002年に退社している。

木村政雄 ©文藝春秋

 木村は、吉本の東京進出を成功に導いた功労者の一人である。1980年、吉本は、漫才ブームに合わせて東京に連絡所を開設している。反対する経営陣も多い中で東京へ進出したことは、その後の吉本発展につながった。間違いなく、吉本の歴史の中でエポックメーキングな出来事だ。

 その東京進出について、『八十年の歩み』では、正之助の娘婿である林裕章が言い出し、木村と大﨑洋を連れて上京したと書かれている。しかし、『百五年史』には、裕章の名前しかない。上京時の記述は、「派遣されることになった社員は、身の回りのものや寝具を車に積んで、東名高速道路で東京に向かった」とあるだけである。この「派遣されることになった社員」が、木村と現社長のことだ。普通なら、ここで現社長の名前を出すのが自然に思えるため、違和感のある書き方である。

 800頁を超える浩瀚な吉本共和国正史には、まだまだ隠された裏面史がありそうだ。

 

ツイッターをフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー